1803年(33歳) 1820年(50歳)
20代の終わり頃から、クラシック音楽を聴くことが増えた。
クラッシック音楽好きのRoseyの影響である。
Roseyは声楽曲をよく聴いていたが、器楽曲も嫌いではなかった。
作曲家では二人ともベートーヴェンが一番好きだった。
といっても、彼に関する知識はLPレコードのジャケットの解説くらい。
ロマン・ロランの本は読んだと思うが、あれは小説だ。
映画を見た記憶もあるが、内容はほとんど忘れている。
ただ第3交響曲「英雄」を聴いた時に違和感を覚えた。
ジャケットの解説では、ナポレオンに献呈する曲と書いてあったはずだ。
それにしては第2楽章で葬送の曲が鳴り出すのはおかしくないか。
この際、ベートーヴェンのことをもっとよく知ろう、という欲求に駆られた。
ウィキペディアやクラシック系のサイトなど手当たり次第に調べてみた。
そしたら知らなかったことが山ほど出てきた。ビックリ仰天!
彼は、ピアノを弾き作曲するだけでなく様々なことを学んでいたようだ。
古くは古代ギリシャのホメロスやプラトンから同時代のカント哲学、
さらにインド哲学。また独学で天文学の書物を読むこともあったらしい。
気難しく、晩年は全く聴覚を失った、短気で怒りっぽい音楽職人。
彼に抱いていた私のそんなイメージは一変した。
「草枕」の漱石やグールドと同じく、彼もまた「三角の世界」の芸術家だったのだ。
ナポレオン・ボナパルトを中心とするフランス革命の時代が彼を後押しする。
「自由・平等・博愛」の旗印のもと、大衆は貴族制度の軛から解き放たれた。
また、ベートーヴェン自身も貴族のパトロンのお抱え音楽家から、
自立した芸術家の道を歩き始めたのだと思う。
ところが、ナポレオンが皇帝になったことで、彼は第3交響曲の献呈をやめた。
そして総譜の表紙を破り捨てた・・・という話、これも真偽は定かではないらしい。
ただ、表紙のボナパルトの名や賛辞は消されたのは事実のようだ。
曲名は「シンフォニア・エロイカ」に変えられ、
~ある英雄の想い出のために~という副題がつけられた総譜が残されているという。
その英雄が誰であるかは・・・これまた明確にはなっていないらしい。
というように、分かったこともあり、謎は深まったようでもある。
私見だが、これを境にベートーヴェンはもう自分の「英雄」を必要としなくなったのだ。
それは、彼こそが音楽史を新しく塗り替えた「英雄」だからだ。
彼が亡くなってから200年ほど経つ。(没後64年ほどで日本は明治元年)
でも、彼を乗り越えた音楽家は誰もいないし、これから先も出て来ないだろう。
ベートーヴェンの事を書きながら、今日のブログは音楽が出て来ない。
好きな曲があまりにも多過ぎて、絞り切れないのだ。
そこで、私の好きな曲の中でも、とりわけ「ここが好き」という部分を1分か2分くらい、
まとめて1つのブログに載せる。
どうやればそんなことが出来るのか、その算段をしている最中である。
何とか実現したいと思っているが、今のところ五里霧中・・・。
[Rosy]