アジサイ科 / アジサイ属だが、違う品種?の名前がついていた。
「明治の画家」の番外編は、美術雑誌「方寸」のことを書くつもりだった。
が、團團珍聞(マルチン)が出て来て、話が風刺戯画へと行ってしまった。
急ぐ旅でもないから、もうちょっとその道を進んでみよう。
マルチンの手本がイギリスの風刺紙「パンチ」だったことは書いた。
ところが、日本にも「Japan Punch」が既にあったのだ。
発行人のチャールズ・ワーグマンは、イギリス人の画家・漫画家。
記者として幕末期に来日、横浜居留地に暮らし、居留地の外国人向けに漫画雑誌『ジャパン・パンチ』を創刊した。
創刊号の発行は1862(文久2)年、マルチンに先立つこと15年だった。
因みに本国イギリスでのパンチ創刊はいつか? 1841(天保12) 年。
せっかくだからその表紙を載せよう。(画像が小さいので拡大なし)
流石に早い・・・と思ったら、これにもお手本があった。
フランスの日刊風刺新聞『ル・シャリヴァリ(英語版)』Le Charivari。
ここに投稿された絵の1枚を載せる。
この洋梨のモデルは誰だと思う? フィリップ国王だって。
ほんとフランス人って風刺大好き民族。
もっとも、本当の名前は出さない・・・は風刺や戯画の鉄則みたいなもの。
さて、海外の道草はやめてJapan Punchのワーグマンに戻る。
彼は、五姓田義松や高橋由一など、多くの日本人画家に洋画を教えた。
ここでは、彼が書き残した当時の日本の事件や風俗を何枚か紹介する。
なお、元画像が小さな作品は拡大できないのでご容赦を。
飴作り
新潟の家
今日の道草はこの辺で終わりにしよう。
明日またお会いしましょう。
[Rosey]