またたび

どこかに住んでいる太っちょのオジサンが見るためのブログ

被災地から:震災1年半 復興に合わせた法整備を 菅原茂・気仙沼市長 法ってのは柔軟じゃないんですよね

2012-09-13 12:44:51 | 震災関係
何でもかんでも国が悪いとはいいたくない。けど、もっと柔軟になっていいとは思います。

昨年の今頃放送された“「めげでられねっちゃ~気仙沼 南町・人情商店街の奮闘~」”
を久々に見たのですが、そのなかで仮説商店街を予定していた信用金庫の跡地がぎりぎりになって、銀行法により土地が貸すことができないとの話がありました。だってさ、ずうっとその土地を借りるわけじゃないんだよ、しかも悪用しているわけじゃないのに銀行法で決まっているからダメってあまりにも硬すぎはしませんかって常々思っています。
そうなると、法の意味がなくなるじゃん!って突っ込まれたら、確かにその通りなのですが、それでは誰のための法なんだよという考えも出てきます。

市長さんのお話です。

【被災地から:震災1年半 復興に合わせた法整備を 菅原茂・気仙沼市長 /宮城】


--法制度の不備が復興の障害になっていると指摘していますね。
 ◆復興の原則的施策がなく、自分たちができるものを各役所が出している。復興庁と話すのは復興交付金の申請の仕方に関してだけであって、(交付金の)40事業で見てもらえるかどうかは(国土交通省や厚生労働省など)5省と話す。やはり役所の縦割りがある。また、被災して再建しなければならないものは民間・個人のものなのに、税金はそこに直接投入できず、公(の施設)にしか入れられない。民間に投入できるのは被災者生活再建支援金しかない。これも問題だ。
 --石巻市など沿岸4市町と「県東部沿岸大規模被災市町連携会議」を発足させました。狙いは?
 ◆私たちの存在感をきちっと示すことが大事だ。それによって、これらの市町が復興しない限り(本当の)復興にならない、ということを認識してもらう。国や県に政策展開してもらいたいのは、住宅再建に対する支援だ。支援金額が少ないので、各市町が独自支援をやる時に格差が生じる。
 産業再生の問題では、面的な整備とその上に建つ工場の整備が、片方は5年なのに片方はもっと短い期限の予算しか出されていないというミスマッチがある。国や県の説明は「制度に復興を合わせてください」というのに近い。住民にとっては不満だし不十分だ。制度に復興を合わせるのではなく、復興に合わせた制度設計(が必要)だ。
 --職員不足が依然問題となっています。
 ◆なるだけ早く、市独自に任期付き職員を採用しようと思っている。(募集の)ターゲットは首都圏も含めたオールジャパンだ。
 --被災建物を遺構として保存する動きが出ています。気仙沼では陸に打ち上がったままの大型漁船があります。
 ◆震災遺構を残すのは、これから生まれてくる我々の子孫のためという観点がある。じゃあそのために、これから何十年も生きていく(今住む)人たちの嫌悪感や気持ちを無にしていいのか。これは比べることができない。時間をかけてやるべきだ。ただ、復興予算をなるべく使いたいから、実は時間の余裕がない。住民の多くは反対で、来訪者は賛成。そこをどう最終判断するかだ。
 --震災を風化させることなく関心を持ち続けてほしい、被災地も遠慮なく訪れてほしい、と訴えていますね。
 ◆被災地を訪れてほしいというのは切実だ。震災後に気仙沼に来た人はリピーターになっているし、思いがまるで違う。交流人口が増えることで町の活気も保てるし、結果として定住人口が戻ってくるはず。元気のある人の行き来を大事にしていきたい。
 東京以西に出張すると、相当程度復興したと思われている。阪神大震災の場合はそこに住んで再建したが、今回の被災地の場合は「そこに住むな」という話だ。阪神と今回の震災が大きく違うということが、実感として理解されていないところがあると思う。【聞き手・影山哲也】


気仙沼・南気仙沼など区画整理へ 23地区への集団移転了承 とのこと

2012-09-12 08:08:41 | 震災関係
最近、コピペばかりなので、義援金の行方を載せようと思いましたが、意外と根が深く簡単に発表できなさそうなので、
またしても記事のコピペですみません。


【気仙沼・南気仙沼など区画整理へ 23地区への集団移転了承】

宮城県気仙沼、南三陸など5市町の復興整備協議会が10日、県庁であり、4市町計23地区へ集団移転する事業などを盛り込んだ復興整備計画をそれぞれ了承した。今月中に公表され、正式決定する。
 気仙沼市は鹿折、南気仙沼両地区の区画整理事業が認められた。いずれも2015年度までの事業実施を予定し、鹿折が620戸1800人、南気仙沼が630戸1600人の移転を見込む。
 集団移転が決まったのは9地区計109戸352人。移転予定の47地区のうちほぼ半数の23地区が事業に着手した。市が高台移転を誘導する中心部7地区は、着手に至っていない。
 市建設部の小野寺伸部長は「8月実施のアンケートを分析している。今月中に各地区の戸数をまとめ、10月には計画を公表したい」と説明した。
 南三陸町では、中心部の志津川地区から近隣の高台3地区への集団移転が了承された。3地区のうち志津川中央地区は、中心部の機能を高台に移し集約する「津波復興拠点整備事業」を活用し、学校や保育所が近い地域性を踏まえ子育て施設、図書館などを整備する。
 名取市は初の集団移転が動きだす。広浦、北釜地区計123戸353人が西に位置する下増田地区に移転する。残る市内2地区について、市は下増田地区周辺の移転を想定し住民合意を目指す。
 女川町では、被災した中心部から近くの8地区に集団移転する事業がスタートする。町内の離島や半島部からは130戸325人が加わる。
 区画整理と集団移転が既に決まっている東松島市の野蒜北部丘陵地区は森林法に基づく森林区域の変更などで約60ヘクタールの用地が確保され、事業で利用できるようになった。


『移転予定の47地区のうちほぼ半数の23地区が事業に着手した。市が高台移転を誘導する中心部7地区は、着手に至っていない。』

これからこれからですね、がんばりましょう。

鉄道全面復旧いつ 残る不安  具体的な数字を出したいけど、出せないこともあると思うんですよね。

2012-09-11 08:18:56 | 震災関係
今日で震災から一年半。
まだ一年半?もう一年半? ただいえることは先が長いということですね。
でも、着実に一歩一歩進んでいることは確かなんです。



【鉄道全面復旧いつ 残る不安】

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120910/dst12091016270008-n1.htm

東日本大震災から9月11日で1年半。津波で大きな被害を受けた沿岸部の鉄道は少しずつ復旧している。

 宮城県内の気仙沼-柳津(やないづ)間、約55キロが不通だったJR気仙沼線は8月20日、代行バスによる暫定運行を開始。このうち、気仙沼市内の陸前階上(りくぜんはしかみ)-最知(さいち)間の2.1キロは線路を撤去して舗装、路線バス専用道路とする、バス高速輸送システム(BRT)を導入した。

 復興工事の車両などによる混雑を避けての定時運行に期待も膨らんだ。が、気仙沼市本吉地区の本吉響高校2年の女子生徒が「専用道は一部だけ。渋滞に巻き込まれ、以前の路線バスと時間は変わらない」と話すように、BRTの効果は限定的だ。JR東日本では、専用道を不通区間の6割に拡大、所要時間短縮を図る計画だ。

 JR東は津波被害で運休が続く、大船渡線と山田線もBRTによる仮復旧を地元自治体などに提案している。しかし、山田線の沿線自治体では専用道区間が短く効果は薄いとして、鉄道復旧を強く求めている。

 他の自治体もBRTは鉄道復旧までの暫定的な手段と受けとめている。ただ、鉄道の復旧には、橋梁(きょうりょう)の工事など莫大(ばくだい)な予算が必要なため、本当に可能なのか、地域住民に不安は残る。

東日本大震災から9月11日で1年半。津波で大きな被害を受けた沿岸部の鉄道は少しずつ復旧している。


 宮城県内の気仙沼-柳津(やないづ)間、約55キロが不通だったJR気仙沼線は8月20日、代行バスによる暫定運行を開始。このうち、気仙沼市内の陸前階上(りくぜんはしかみ)-最知(さいち)間の2.1キロは線路を撤去して舗装、路線バス専用道路とする、バス高速輸送システム(BRT)を導入した。

 復興工事の車両などによる混雑を避けての定時運行に期待も膨らんだ。が、気仙沼市本吉地区の本吉響高校2年の女子生徒が「専用道は一部だけ。渋滞に巻き込まれ、以前の路線バスと時間は変わらない」と話すように、BRTの効果は限定的だ。JR東日本では、専用道を不通区間の6割に拡大、所要時間短縮を図る計画だ。

 JR東は津波被害で運休が続く、大船渡線と山田線もBRTによる仮復旧を地元自治体などに提案している。しかし、山田線の沿線自治体では専用道区間が短く効果は薄いとして、鉄道復旧を強く求めている。

 他の自治体もBRTは鉄道復旧までの暫定的な手段と受けとめている。ただ、鉄道の復旧には、橋梁(きょうりょう)の工事など莫大(ばくだい)な予算が必要なため、本当に可能なのか、地域住民に不安は残る。



明確な数字がわかると、それに向かいがんばれる!目標がより具体的であればあるほど、人はがんばれるのですが、
具体的な数字を出したいけど、出せないこともあると思うんですよね。
それでも、がんばるしかない。持久戦です、ほんとに。



あと可能にするためにはやはり「お金」だけなんですかね?


『日本を見つけよう ~気仙沼~』10月3日(水) 気仙沼魚市場から初の生中継!!

2012-09-10 08:03:48 | 震災関係
テレビ通販でおなじみの「「ショップチャンネル」(ジュピターショップチャンネル株式会社)さんが何と気仙沼から生中継することが決定しました!!!!
「あがらいでバー」や「気仙沼を元気にする会」などでその話題が出ておりましたが、正式に決まったそうです。

記事を要チェケラ!!!
【『日本を見つけよう ~気仙沼~』10月3日(水) 気仙沼魚市場から初の生中継!! 】

http://sankei.jp.msn.com/economy/news/120907/prl12090716080060-n1.htm

ジュピターショップチャンネル株式会社
日本最大、24時間365日生放送のショッピング専門チャンネル「ショップチャンネル」(ジュピターショップチャンネル株式会社、代表取締役社長:篠原淳史、所在地:東京都中央区)では、2012年10月3日(水)に『日本を見つけよう ~気仙沼~』を放送します。ショップチャンネルの人気ご当地企画『日本を見つけよう』シリーズにおいて、東北地方から生中継を実施するのは初めてのことです。

※『日本を見つけよう』とは?
ショップチャンネルでは、特別番組『日本を見つけよう』シリーズを2008年から開始しました。
日本全国の“地域”にフォーカスし、当地ならではの名産品を紹介する人気番組です。
時には現地中継を交え、商品だけでなくその土地ならではの伝統芸能や文化を紹介し、
日本各地の魅力をたっぷりと伝える、ショップチャンネルならではの特別企画です。

●気仙沼市長も生出演!復興に向けて歩みを進める気仙沼魚市場からの生中継

 2011年3月11日の東日本大震災で、大きな地震と津波、そして広範囲の火災、その後の地盤沈下と甚大な被害に見舞われた宮城県気仙沼市。カツオ、マグロ、サンマ、サメをはじめ、全国有数の水揚高を誇った気仙沼の漁港も壊滅的な被害を受けました。漁港だけでなく、魚市場に併設されていた加工施設なども失われ、気仙沼の漁業は本格再開に向けて、まだ道半ばではありますが、関係者の努力により復興の歩みは確実に進んでいます。

 ショップチャンネルでは、震災以来、復興支援のための番組の売上金やお客様・従業員からの寄付、また、当地の企業が徐々に事業を再開するにつれ、その商品や、復興に向けた現地の努力・再生の様子を番組でご紹介・販売することで、被災地支援に継続的に取り組んで参りました。
あの日から500日以上が経過し、ついに、現地生中継を交えた『日本を見つけよう ~気仙沼~』の特別放送が決定しました。少しずつかつての賑わいを取り戻しつつある秋の気仙沼魚市場から、市長の菅原茂氏をはじめとした市民の声や、この土地に伝わる、大漁を願うための歴史ある伝統芸能の力強いパフォーマンスなども交えながら、気仙沼自慢の海の幸をはじめとした美味しいフードやファッションアイテムなどを現地企業の皆さまとともにご紹介する予定です。

 ショップチャンネルでは、復興のために前向きに努力を続けている現地の人々の熱い思いと、この地域ならではの魅力溢れる商品をご紹介することで、これからも楽しいお買い物を通じて被災地に更なる笑顔と元気を届けていきたいと考えています。


(写真キャプション)
気仙沼といえば、海の幸。フカヒレ専門店「石渡商店」が独自の製法で絶妙の美味しさを引き出した、ズワイガニの身が入ったコラーゲンたっぷりのフカヒレ濃縮スープや、ご飯がすすむサンマの煮付けなど、心まで癒される温もりの味をご堪能ください。

2012年10月3日(水)10:30~13:00 / 15:00~17:30 気仙沼 魚市場より生中継!

思いっきり平日ですが、要チェケラ!です。
ジュピターショップチャンネルさんありがとうござます!今度利用します!!

高校新卒者求人 被災3県大幅回復 宮城19年ぶり1倍超す とのこと

2012-09-07 07:57:12 | 震災関係
記事のコピペばかりですみません。

河北新報9月6日(木)の記事です。

【高校新卒者求人 被災3県大幅回復 宮城19年ぶり1倍超す】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120906-00000003-khks-soci

 来年3月に卒業する高校生の就職試験が16日から始まるのを前に、企業の応募書類の受け付けが5日、始まった。東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島3県の県内求人数は、震災の影響で激減した昨年同期に比べて大幅に回復。復興需要のある業種を中心に、震災前を上回る水準に達した。生徒も地元企業への就職に意欲的で、高校側は「一人でも多く採用を」と期待している。

 震災で多くの企業が被災した石巻市にある石巻市女高では、3年生193人のうち、63人が就職を希望する。昨年はこの時期、地元企業の求人数は10人ほどだったが、ことしは45人に上った。
 5日は学校推薦で16日以降の就職試験に臨む58人分の応募書類を発送した。葛西智治進路指導部長は「求人数は震災前の水準以上。震災を経て働くことに意欲を持った生徒が増えているので、多くの生徒をいい結果につなげたい」と話す。
 各県の労働局によると、来年に卒業を予定する高校生の県内求人数と、就職を希望している高校生数は表の通り。
 3県の求人数は前年同期の2倍前後。宮城県の県内求人倍率は1.09倍に達し、バブル崩壊後の1994年3月卒以来、19年ぶりに1倍を超えた。岩手県の求人数は、この10年で最も多かった2008年3月卒(1902人)を上回った。
 産業別では復興需要などの影響で建設業、製造業、宿泊・飲食業、警備業などが大幅に増えた。職業安定所別の求人数も、昨年同期に比べ気仙沼が10.1倍、大船渡が6.8倍、石巻が4.6倍などと好調だ。
 宮城労働局職業安定課は「従業員100人未満の地場中小企業からの求人が伸びているのが特徴」と分析した上で「人手不足などを背景に企業は早めに採用に動いている。しかし、再建していない企業も多く、今後も求人数に伸びしろがあるかどうかは不透明だ」と話している。


気仙沼の求人倍率も上がってきましたね。
一時的なものではなく、維持するように企業誘致等々が今後の課題になりそうですね。

また来週!!

西宮で被災地写真展 南気仙沼小の児童が撮影 とのことです。

2012-09-06 08:03:57 | 震災関係
夢を見ていて、体が動くことってありますか?
私は夢で虫に襲われたり、何かを殴ろうとすると現実でも同じような動きをしてしまいます。
んでもって、今日の朝方変な虫が首にまとわりついた夢を見て、
避けようとジャンプ的な感じで動いたら、そのままベッドから落ちてしまいました。
もう漫画みたいにスッ、ドーーンてな感じで思いっきりフローリングに背中から着地しました。
先々週から腰痛がひどく、生活に支障をきたしまくっている腰にこの衝撃。。。
果たして、動けるのか????と思っていたら、意外と痛くないというか、腰の痛みが弱まっている?
これはショック療法か? そんな通算3回目のベッドから落ちた木曜日の朝でございます。

えっと神戸新聞の記事をチェケラ!

【西宮で被災地写真展 南気仙沼小の児童が撮影】
http://www.kobe-np.co.jp/news/hanshin/0005354554.shtml
東日本大震災で被災し、閉校になった宮城県気仙沼市の南気仙沼小学校の子どもたちが、学校や被災した街を舞台に撮影した写真展「こどもカメラマンプロジェクト南気仙沼小学校編」が、兵庫県西宮市甲子園八番町の市立鳴尾図書館で開かれている。変わり果てた風景とともに、子どもたちの笑顔が並んでいる。



 同プロジェクトは、カンボジア孤児支援団体代表で写真家の石原理恵さんが、子ども自身がカメラを持って撮影し、作品に仕上げることで心のケアになればと企画した。写真展はこれまでに、東京など全国約25カ所で実施。兵庫県内では同図書館が初めて。

 同小の児童42人と教員2人が、友達の姿や学校の教室、がれきが残る街並みなどを思い思いに撮影。一人につき6枚のスナップ写真を組み合わせ、文章とともに展示している。会場にはメッセージカードが置かれ、館内に掲示後、同小の児童たちに届けることにしている。

 西宮市立高須小学校4年の女子児童(10)は「被害を受けた人たちのつらい思いが伝わってくる。早く復興してほしい」。同小5年の女子児童(10)は「悲しいはずなのに、写真はみんな笑顔なのがすごい。私の方が勇気づけられる」と感銘を受けていた。

 30日まで。火~金曜は午前10時~午後7時、土日祝日は午後6時まで。3、6、10、18、24日休館。同図書館TEL0798・45・5003

 また、20日~10月20日、北部図書館(同市名塩新町)でも開催予定


とのことです。
お近くにお住まいの方は要チェケラ!!!!

銀座から気仙沼の情報発信を-東京在住、被災地出身者が抱える思いとは /東京

2012-09-05 08:19:16 | 震災関係
まずはこちらの記事をチェケラです。
お世話になっている齋藤岳大さんのロングインタビューです。
岳大さんは私の結婚式の二次会で「おいらの船は300トン」を熱唱していただきました。
いやぁ~、あのときは盛り上がりましたね。

ということで読んでけらいん!

銀座「東日本復興応援プラザ」(中央区銀座5)が8月31日に閉店し、ボランティアに集まった気仙沼出身の東京在住者らもプラザでの最後の活動を終えた。(銀座経済新聞)

【画像】 閉店を迎え、東日本復興応援プラザ前で一礼する関係者一堂

 プラザは昨年10月、建て替えを控える銀座TSビルの空きスペースを被災地支援に役立てようと開かれた。東急不動産が会場を無償提供し、気仙沼商工会議所(宮城県気仙沼市)を通じて気仙沼地域開発が被災地の物産販売を中心に運営受託。津波を免れた高台の工場での製造品や在庫などをかき集め、被災者雇用開発助成金を受け上京した気仙沼の若者たちが売り子となって開業した。

 オープン当初はにぎわいを見せた同プラザ。東京で働く気仙沼出身者・齋藤岳大さんは「銀座の真ん中に気仙沼の拠点ができるなんて、100年に1度あるかないかの奇跡と感じた」と振り返る。ところが1週間後に行ってみると「商品も少なく、閑散とした状態だった」。「店頭には被災して傷ついた若者がそのまま銀座のど真ん中に連れてこられ、右も左もわからずに立っていた。何とかしたい、力になりたいと思った」

 昨年7月から気仙沼への企業誘致を目的に上京していた気仙沼市役所の小野寺幸史さんも、同じ気持ちでいた。「土地を売るか物を売るかの違いはあるが、悩みは同じ。ほうっておけなかった。販売方法など、いろいろな方面からそれぞれの思いで意見が出され、現場は萎縮してしまったような状態だった。それなら自分は一緒に汗をかきたいと思った」

 まずは東京近郊に住む気仙沼出身者に声を掛け、プラザスタッフらを招いて「激励会」を開いた。「一人一人が順に話してみると、気仙沼在住者も在京者も実家や身内を失ったりと、同じ気持ちを抱えていた。東京にいる自分たちが『敵』ではないと伝えることができた気がした」。そうして昨年11月、気仙沼出身の東京在住者らを中心にしたボランティア集団「気仙沼コンシェルジュ」が始動した。

 主な活動は販売の手伝いや、来店客との会話を通じた気仙沼・気仙沼特産物の情報発信。メンバーには大学院生、看護師、主婦、塾のチューターなど、首都圏を拠点に生活する20代~60歳位までのさまざまな人々が名を連ねた。連絡事項は主にフェイスブックを通じてやり取りし、15人程度のコアメンバーを中心に約100人がメンバー登録。プラザでの活動以外にも、屋内外イベントで気仙沼の物産販売や飲食ブースの出店などを手がける機会も増えていった。

 8月末の営業終了日、19時の閉店時間を迎えると、プラザ前には売り子を務めた若者のほか、気仙沼地域開発や東急不動産の職員、運営方針に「知恵出し」を行ったコミュニケーションデザイナーなど、さまざまな関係者が列を作った。感謝の言葉とともに頭を下げる一堂の中には、気仙沼コンシェルジュの姿もあった。

 約10カ月に及んだ活動が終わって、齋藤さんは「もともとは『支援』のつもりで始めたが、日がたてばたつほど、足を運べば誰かに会えて地元の言葉が行き交うあの場所が、自分たちにとっての『気仙沼』のようになっていた」と振り返る。「自分たちも地震を通して傷つき、居場所を求めていたんだと思う。プラザは自分たちにとって癒やしの場所だった」。小野寺さんも「気仙沼のためにイベントをやったり物を売ったりすることに、携われることがうれしかった」と話す。

 活動拠点は失ったが、コンシェルジュの活動は続く。「今後はイベント型の支援を中心に、自分たちで企画して実施していくようなスタイルにかわっていくのでは」と齋藤さん。「気仙沼の復興をどう支えられるかが大切」といい、フェイスブックを主な窓口に、気仙沼出身であるかどうかにかかわらず参加メンバーを受け付ける。「メンバーはグループ『気仙沼concierge』に参加登録すれば大丈夫。閉鎖的な組織ではないので、あとは意志のある人に勇気を出して声を掛けてもらえたら」(斎藤さん)。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120904-00000063-minkei-l13


気仙沼出身 佐藤真海選手9位入選!お疲れ様でした。ロンドンパラリンピック走幅跳

2012-09-04 08:05:41 | 気仙沼
ロンドンパラリンピックで気仙沼出身の佐藤真海選手が陸上の走り幅跳びで第9位に入選されました。
おめでとうございます!!
佐藤さんは第六回あがらいでバーでお会いしました。
【あがらいでばー  第六回 前編】
ゲストでお招きして、パラリンピックの裏話や今までの経緯をお話していただきました★
何でしょう…
やるからにはトップを目指すという生粋のアスリートを感じました。
私達の想像を絶するような苦難があっての今、ここに明るくいることに感銘を受けました。
【あがらいでばー  第六回 後編】


佐藤さん著者の【夢を跳ぶ―パラリンピック・アスリートの挑戦】は要チェケラです。
深い内容ですが、絶対に前向きになれる本です。
「神様はその人が乗り越えられない試練は与えない」

絆カステラのデザインにもご協力いただきました。


本当にお疲れ様でした。
感動をありがとうございました。

佐藤真海さんのブログ
mami's Diary -北京パラリンピック走り幅跳び日本代表・佐藤真海の日常★-
http://blog.livedoor.jp/mami_sato/