カテゴリ:カテゴリ未分類
ダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)とつながる武装集団との戦闘に協力すると称し、アメリカ軍の特殊部隊がフィリピンではロドリゴ・ドゥテルテ政権に無断で活動、クーデターを目論んでいるのではないかと推測する人がいる。
ベニグノ・アキノ3世前大統領はアメリカ支配層の覚えがめでたい人物だった。フィリピン、ベトナム、韓国、インド、オーストラリア、そして日本を結びつけ、中国やロシアに対抗する「東アジア版NATO」を築くというアメリカの戦略に従い、中国との関係を悪化させていたのだ。
前大統領の父親は1983年8月にマニラ国際空港で殺されたベニグノ・アキノ・ジュニア、母親は86年2月から92年6月まで大統領を務めたコラソン・アキノである。アキノ3世がフィリピンの大統領に就任した3カ月後、2010年9月に海上保安庁は日中漁業協定を無視する形で尖閣諸島の付近で操業していた中国の漁船を取り締まり、田中角栄と周恩来が修復した日本と中国との関係を悪化させている。こうした動きとアキノ3世の政策は連動していうるように見える。
アメリカから台湾経由でフィリピンへ戻ったアキノ・ジュニアは空港で殺されたが、その後にフィリピンは不安定化、1986年2月にはアメリカ軍に国外へ連れ出された。この拉致作戦の黒幕はネオコンの大物、ポール・ウォルフォウィッツだと言われている。マルコスに替わって大統領となったのはアキノ・ジュニアの妻、コラソン・アキノだ。アメリカ支配層と強く結びついているアキノ家はアメリカ巨大資本が望む政策を推進、一般民衆の不満は膨らんでいく。
フィリピン国軍にはアメリカの特殊部隊から指導を受けているSOT(特殊作戦チーム)と呼ばれる部隊があり、心理作戦部隊、直接軍事作戦部隊、そしてCAFGU(市民武装地域部隊)の3部門で編成されている。マルコス政権時代に暗殺や拷問を担当していたCHDF(民間郷土防衛隊)を新政権が改組して作られた部隊がCAFGU。
ロドリゴ・ドゥテルテ政権になってもフィリピン軍とアメリカ軍との結びつきに変化はなく、フィリピン軍がクーデターに動いても不思議ではない。
ベニグノ・アキノ3世前大統領はアメリカ支配層の覚えがめでたい人物だった。フィリピン、ベトナム、韓国、インド、オーストラリア、そして日本を結びつけ、中国やロシアに対抗する「東アジア版NATO」を築くというアメリカの戦略に従い、中国との関係を悪化させていたのだ。
前大統領の父親は1983年8月にマニラ国際空港で殺されたベニグノ・アキノ・ジュニア、母親は86年2月から92年6月まで大統領を務めたコラソン・アキノである。アキノ3世がフィリピンの大統領に就任した3カ月後、2010年9月に海上保安庁は日中漁業協定を無視する形で尖閣諸島の付近で操業していた中国の漁船を取り締まり、田中角栄と周恩来が修復した日本と中国との関係を悪化させている。こうした動きとアキノ3世の政策は連動していうるように見える。
アメリカから台湾経由でフィリピンへ戻ったアキノ・ジュニアは空港で殺されたが、その後にフィリピンは不安定化、1986年2月にはアメリカ軍に国外へ連れ出された。この拉致作戦の黒幕はネオコンの大物、ポール・ウォルフォウィッツだと言われている。マルコスに替わって大統領となったのはアキノ・ジュニアの妻、コラソン・アキノだ。アメリカ支配層と強く結びついているアキノ家はアメリカ巨大資本が望む政策を推進、一般民衆の不満は膨らんでいく。
フィリピン国軍にはアメリカの特殊部隊から指導を受けているSOT(特殊作戦チーム)と呼ばれる部隊があり、心理作戦部隊、直接軍事作戦部隊、そしてCAFGU(市民武装地域部隊)の3部門で編成されている。マルコス政権時代に暗殺や拷問を担当していたCHDF(民間郷土防衛隊)を新政権が改組して作られた部隊がCAFGU。
ロドリゴ・ドゥテルテ政権になってもフィリピン軍とアメリカ軍との結びつきに変化はなく、フィリピン軍がクーデターに動いても不思議ではない。
最終更新日 2017.06.15 02:45:21
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2017.06.14
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サウジアラビアは軍事的な圧力で自分たちの欲望を実現させようとしている。その中心にいる人物が国王の息子で副皇太子のモハンマド・ビン・サルマン国防大臣だ。経済面では新自由主義に毒され、コンサルタント会社だというマッキンゼーの提案に基づいて「ビジョン2030」を作成した。それによると、私有化や弱者切り捨てを促進、また石油産業への依存を弱め、国をヘッジファンド化しようとしている。
そうした政策はことごとく失敗、ロシアを弱体化させるはずだった石油相場の急落はサウジアラビアの財政を赤字に転落させ、巨大建設企業へ代金、あるいは兵士や労働者への賃金の支払いが滞っているという話も伝わっている。サウジアラビアの兵士はインド、パキスタン、スリランカの出身者が多く、労働者の大半も出稼ぎだ。
本ブログでは何度も書いてきたが、サウジアラビアはイスラエルやアメリカと同盟関係にあり、イギリス、フランス、トルコ、カタールなどを巻き込んで軍事侵略を繰り返してきた。その手先として利用されてきたのがサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を中心に編成された傭兵集団。その傭兵の登録リストがアル・カイダである。
現在、アメリカはシリアからイラクにかけての地域にクルド系の国を作ろうとしていると見られている。その下地を作ったのがダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)。イラク系のクルドはサダム・フセイン体制の時代からイスラエルの支援を受けていたが、その関係は今も続いている。
その地域を支配しているKRG(クルディスタン地域政府)はイラクからの独立を目指し、住民投票を実施する意向を示している。アメリカにはシリア、トルコ、イラク、イランをまたがる地域にクルド系の国を作るという計画があり、その第一歩ということかもしれない。
そうした動きに合わせ、サウジアラビアはヨルダンやアラブ首長国連邦と一緒に、独立を支援する代償としてクルディスタンに自分たちの軍事基地を作らせるように求めている。かつてアメリカは「スペインからの独立」を口実にしてラテン・アメリカを侵略していったが、似たことを目論んでいる可能性がある。クルディスタンをサウジアラビアとイスラエルの傀儡国にするつもりではないかということだ。
1980年代、アメリカ支配層の内部でネオコンと非ネオコンがイラクの扱いをめぐって対立していた。非ネオコンはイラクをペルシャ湾岸産油国の防波堤と位置づけていたのに対し、ネオコンはイラクからサダム・フセインを排除し、ヨルダン、イラク、トルコの親イスラエル国帯を作ってシリアとイランを分断し、弱体化させようと考えていたのだ。1991年にポール・ウォルフォウィッツがイラク、イラン、シリアを殲滅すると口にしたのは、そうした戦略に基づいている。
イラクを親イスラエルの傀儡国家にすることは失敗、シリアの体制転覆も難しい状況になっている中、アメリカ、サウジアラビア、イスラエルの三国同盟どはダーイッシュから引き継いだ地域にクルディスタンを作り、それを傀儡国家にしようとしても不思議ではない。
しかし、三国同盟のクルドに対する肩入れはトルコの反発を招いた。すでにクーデター騒動からトルコのアメリカ離れは進んでいるが、NATOとの関係も悪化、ドイツ軍はトルコにあるインシルリク基地からヨルダンの基地へ移動しつつある。
三国同盟はイランの体制転覆を目指しているが、その戦略に消極的なカタールをサウジアラビアは兵糧攻めで脅し、イスラエルからも支持されている。カタールやトルコと緊密な関係にあるムスリム同胞団はサウジアラビアの国教、ワッハーブ派から強い影響を受けている。
ムスリム同胞団は1954年にエジプトのガマール・アブデル・ナセルを暗殺しようとして失敗、非合法化されたムスリム同胞団のメンバーの多くがサウジアラビアへ逃げ込み、ワッハーブ派の強い影響を受けたのだ。そこでサラフィ主義者とムスリム同胞団は連携してきたのだが、サルマンの政策によって亀裂が入ったようだ。
カタールへの恫喝計画を命じたモハンマド・ビン・サルマンは24時間でカタールは屈すると予想していたようだが、そうした兆候は見られない。兵糧攻めを受け、カタールはイランやロシアへ接近、カタールに重要な軍事基地を持つアメリカとしては好ましくない展開だ。カタールと関係の深いトルコは軍隊を派遣、サウジアラビアからの軍事侵攻にも備えている
そのカタールに対する計画を無謀たこ考えた人がサウジアラビア支配層の内部にもいたようだが、サルマンに反対した要人は収監されたとも伝えられている。サルマンに処刑されることを恐れた少なからぬ王子や王女が国外へ脱出したとも昨年末には報道されていた。
そうしたサウジアラビアが戦乱を広げようとしている場所が東南アジア。インドネシアでは普通のイスラム教徒をワッハーブ派へ改宗させる工作が数十年にわたって続けられてきたほか、フィリピンの南部での攻勢を強め、マレーシアでは政府を買収、タイでも活動が激しくなっている。三国同盟は同じ間違いを繰り返そうとしているようだが、そうなると東南アジアも殺戮と破壊の場所になってしまう。安倍晋三政権が本当にテロに反対しているのなら、アメリカ、サウジアラビア、そしてイスラエルに立ち向かわなければならない
そうした政策はことごとく失敗、ロシアを弱体化させるはずだった石油相場の急落はサウジアラビアの財政を赤字に転落させ、巨大建設企業へ代金、あるいは兵士や労働者への賃金の支払いが滞っているという話も伝わっている。サウジアラビアの兵士はインド、パキスタン、スリランカの出身者が多く、労働者の大半も出稼ぎだ。
本ブログでは何度も書いてきたが、サウジアラビアはイスラエルやアメリカと同盟関係にあり、イギリス、フランス、トルコ、カタールなどを巻き込んで軍事侵略を繰り返してきた。その手先として利用されてきたのがサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を中心に編成された傭兵集団。その傭兵の登録リストがアル・カイダである。
現在、アメリカはシリアからイラクにかけての地域にクルド系の国を作ろうとしていると見られている。その下地を作ったのがダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)。イラク系のクルドはサダム・フセイン体制の時代からイスラエルの支援を受けていたが、その関係は今も続いている。
その地域を支配しているKRG(クルディスタン地域政府)はイラクからの独立を目指し、住民投票を実施する意向を示している。アメリカにはシリア、トルコ、イラク、イランをまたがる地域にクルド系の国を作るという計画があり、その第一歩ということかもしれない。
そうした動きに合わせ、サウジアラビアはヨルダンやアラブ首長国連邦と一緒に、独立を支援する代償としてクルディスタンに自分たちの軍事基地を作らせるように求めている。かつてアメリカは「スペインからの独立」を口実にしてラテン・アメリカを侵略していったが、似たことを目論んでいる可能性がある。クルディスタンをサウジアラビアとイスラエルの傀儡国にするつもりではないかということだ。
1980年代、アメリカ支配層の内部でネオコンと非ネオコンがイラクの扱いをめぐって対立していた。非ネオコンはイラクをペルシャ湾岸産油国の防波堤と位置づけていたのに対し、ネオコンはイラクからサダム・フセインを排除し、ヨルダン、イラク、トルコの親イスラエル国帯を作ってシリアとイランを分断し、弱体化させようと考えていたのだ。1991年にポール・ウォルフォウィッツがイラク、イラン、シリアを殲滅すると口にしたのは、そうした戦略に基づいている。
イラクを親イスラエルの傀儡国家にすることは失敗、シリアの体制転覆も難しい状況になっている中、アメリカ、サウジアラビア、イスラエルの三国同盟どはダーイッシュから引き継いだ地域にクルディスタンを作り、それを傀儡国家にしようとしても不思議ではない。
しかし、三国同盟のクルドに対する肩入れはトルコの反発を招いた。すでにクーデター騒動からトルコのアメリカ離れは進んでいるが、NATOとの関係も悪化、ドイツ軍はトルコにあるインシルリク基地からヨルダンの基地へ移動しつつある。
三国同盟はイランの体制転覆を目指しているが、その戦略に消極的なカタールをサウジアラビアは兵糧攻めで脅し、イスラエルからも支持されている。カタールやトルコと緊密な関係にあるムスリム同胞団はサウジアラビアの国教、ワッハーブ派から強い影響を受けている。
ムスリム同胞団は1954年にエジプトのガマール・アブデル・ナセルを暗殺しようとして失敗、非合法化されたムスリム同胞団のメンバーの多くがサウジアラビアへ逃げ込み、ワッハーブ派の強い影響を受けたのだ。そこでサラフィ主義者とムスリム同胞団は連携してきたのだが、サルマンの政策によって亀裂が入ったようだ。
カタールへの恫喝計画を命じたモハンマド・ビン・サルマンは24時間でカタールは屈すると予想していたようだが、そうした兆候は見られない。兵糧攻めを受け、カタールはイランやロシアへ接近、カタールに重要な軍事基地を持つアメリカとしては好ましくない展開だ。カタールと関係の深いトルコは軍隊を派遣、サウジアラビアからの軍事侵攻にも備えている
そのカタールに対する計画を無謀たこ考えた人がサウジアラビア支配層の内部にもいたようだが、サルマンに反対した要人は収監されたとも伝えられている。サルマンに処刑されることを恐れた少なからぬ王子や王女が国外へ脱出したとも昨年末には報道されていた。
そうしたサウジアラビアが戦乱を広げようとしている場所が東南アジア。インドネシアでは普通のイスラム教徒をワッハーブ派へ改宗させる工作が数十年にわたって続けられてきたほか、フィリピンの南部での攻勢を強め、マレーシアでは政府を買収、タイでも活動が激しくなっている。三国同盟は同じ間違いを繰り返そうとしているようだが、そうなると東南アジアも殺戮と破壊の場所になってしまう。安倍晋三政権が本当にテロに反対しているのなら、アメリカ、サウジアラビア、そしてイスラエルに立ち向かわなければならない
最終更新日 2017.06.14 03:46:26
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