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10.7は70年間の殺戮・入植への返答/西側が語ろうとしない歴史


10月 27, 2024 20:15 Asia/Tokyo


  • 1982年にイスラエルの爆撃によってパレスチナで家族を失った女性(右)と2023年のパレスチナの女性(左)


イスラエルはその「建国」から今に至る過程で、ユダヤ人入植者のためにパレスチナの土地の60%以上を奪い、全ての水源からパレスチナ人を締め出しました。またガザ地区においては2005年まで人種差別を基にした軍事占領政策を行いました。


【ParsToday西アジア】イスラエルは70年前にガザ地区でパレスチナ人に対する虐殺行為を開始しました。この行為はその後も断続的に行われていますが、そのたびに親イスラエル国家、特に米国やEU諸国、英国はイスラエル寄りの姿勢を貫き通してきました。これらの国々は「イスラエルには自衛権がある」という決まり文句を繰り返すことで、パレスチナ人に対するイスラエルの行動を支持してきました。

 
しかしながら、このイスラエルの「正当防衛」で、明らかに戦闘行為に加担していない一般市民に多くの犠牲が生じるなど、人権侵害行為が少なくない数で見受けられます。

 
その一例として、2022年8月、イスラエルはガザ地区を3日間空爆し、結果17人の子供を含む49人のパレスチナ人が亡くなりました。この行動に対して米国とEUはイスラエルの「自衛権」を支持し、またパレスチナの民間人に犠牲が出たことについては単に遺憾の意を表明するにとどまり、事実上イスラエルの戦争犯罪は無視されました。この出来事は2023年10月にハマス・イスラエル間の戦争が発生するまで、ガザでのイスラエルによる最後の虐殺行為でしたが、この出来事以前にも類似の事象は数多く確認されています。

 
これらの内情をより深く理解するには、1951年のガザ侵攻まで時間を遡る必要があります。まずイスラエルはガザ地区に侵攻を行う前段階として、1947年末から1950年の夏にかけて、ガザを含むパレスチナのさまざまな地域で数十万人のパレスチナ人を家から強制的に追放しました。その後1951年の10月、イスラエルはガザに侵攻し数十人ものパレスチナ人とエジプト人を殺害し、また家屋を破壊し井戸を爆破するなどしました。これはパレスチナ人が追い出された故郷に戻ろうとするのを阻止するために行われました。当時、国際監視団はイスラエルの「自衛権」を支持することはなく、むしろこの出来事を「意図的な虐殺が行われた恐ろしい事件」と呼びました。

 
イスラエルの犯罪行為はこれにとどまりませんでした。以下の出来事は、イスラエルによって起こされたパレスチナ人迫害行為のうち特筆すべきものを抜き出したものです。
 

  • 1949年8月、イスラエル軍が男女2人のパレスチナ難民を拘束。男性は殺害され、女性もイスラエル軍兵士22人から性的暴行を受けた後、殺害。
 

  • 1950年3月、イスラエル軍がガザのパレスチナ人少女2人と少年1人を誘拐。少年を殺害し、少女たちも性的暴行を加えた後殺害。同様の事件はその後何年にもわたって続き、特に故郷に戻ろうとしたパレスチナ人女性を対象とした性的暴行事件が多数発生した。
 

  • 1953年、イスラエル軍第101部隊がガザ地区中部に位置するブレイジュ難民キャンプの難民生活拠点に爆弾を投げ込み、女性と子供を含む少なくとも20人のパレスチナ人を殺害。また同年、イスラエル軍兵士が作戦行動の一環としてヨルダン川西岸地区のキブーヤ村でパレスチナ民間人70人を殺害。このときナショナル・ジューイッシュ・ポスト*1のような親イスラエル的な組織が、この虐殺をナチスのユダヤ人迫害行為と比較する記事を出すなど、この出来事はユダヤ人コミュニティーに大きな衝撃を与えた。
 (*1:現在の名称はジューイッシュ・ポスト Jewish Post。米インディアナ州に拠点を置く新聞社)
 

  • 1955年、イスラエルはガザにあるエジプト軍基地を攻撃し、エジプト軍の兵士36名と一般のパレスチナ人2名を殺害。この攻撃をきっかけにガザの人々からエジプト政府に対して、イスラエルの攻撃から身を守るための武器を支給するよう要求する運動が起こった。
 

これらの出来事が続き、不満を覚えた人々は最終的に決死隊を結成し、同年にイスラエルに対して軍事作戦を実行するに至りました。しかしイスラエルによる「軍事作戦」を謳ったパレスチナ人に対する虐殺行為はまだ続くことになります。
 

  • 1956年11月、イスラエルはハーン・ユーニス市を砲撃し、数百人が砲撃によって死亡。その後イスラエルは地上軍を市内に展開して、イスラエルに抵抗する人々を次々に殺害。
 
  • 難民キャンプで15歳以上の少年を含む男性を集めて、機関銃を掃射し殺害。この一連の軍事行動で300人から500人が犠牲になったが、そのほとんどは民間人あるいは過去にイスラエルの手によって居住地から追放された難民であったことが判明している。
 
  • 1967年、イスラエルは再びガザを占領し7万5千人のパレスチナ人を同地域から追放。この記事の初めにある土地と水資源の収奪とガザ占領はこれを機に起こった。
 

その後、ガザ地区は「大規模な捕虜収容所」のような地域と化し、それ以降イスラエルはガザ地区を空爆し続け、結果数千人もの民間人が亡くなっています。そして2023年10月7日のハマスとイスラエル間の衝突を皮切りに、イスラエルは再びガザで虐殺行為を行っています。

 
これまでの戦争でイスラエルが掴んだ「勝利」とは、数万人単位のパレスチナ民間人の犠牲と200万人以上の避難民を生み出したことで達成されています。パレスチナ人は武器がないにもかかわらず抵抗を続けていますが、イスラエル軍はパレスチナ人が利用する住宅や病院、学校、そしてその他の重要なインフラ設備の破壊を継続しています。

 
その間、米国と欧州諸国のイスラエルに対する支援は、こういった犠牲や破壊が発生することを考慮することなく続いています。また、米国家安全保障問題担当大統領補佐官のジェイク・サリバン氏は、パレスチナ人抵抗勢力を「アメリカの敵」と呼びました。そして、親イスラエル的な対応をする西側諸国の影響を受けた一部の国際社会はイスラエルの「自衛権」行使を支持し続けている一方、パレスチナ人に対する戦争犯罪は日に日に増加しています。
 


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800万ドル相当のフランスの防空システムが600ドル相当のロシア製兵器で破壊された



ロシア「アフメド」特殊部隊のアプテ・アラウディノフ司令官は、チェチェン「アフメド」軍がフランスの「クロタール」防空システムを破壊したと発表した。



スプートニク


アラディノフ氏は自身のテレグラムチャンネルに投稿したビデオクリップの中で次のように述べた。同志たちはそれを燃やした。」





同氏はさらに、「敵は複数の方向に広がっていた。アハメド軍は今日、戦車1台と装甲戦闘車両3台を破壊した」と付け加えた。


アラディノフ氏は以前、RTとのインタビューで、「クルスクの状況は曖昧で不明確だった。我々は敵をすべて発見し、排除し始めた。我々は敵に多大な軍事装備と人的資源を犠牲にした。現在の状況は、クルスクでの状況は悪くなく、我々は大きな進歩を遂げている。」


同氏はさらに、「ウクライナ軍はクルスク市を制圧し、われわれを交渉のテーブルに着かせることを試みた。敵はわれわれの反応を予想していなかった。


われわれはいくつかの前線、特にドネツクで前進している。ウクライナは全軍を結集して派遣した」と付け加えた。クルスクに攻撃し、我々はその半数の11,600人の戦闘機を撃破した。」


同氏は、「この作戦を計画し実行し、ウクライナ人に装備を提供したのはNATOだ。ウクライナ軍は我が国指導者の殺害を推進しているが、これは真実ではない。


もしロシアにダーティボムが投下されれば、我々はそうするだろう」と強調した。作戦の目的が達成されるまでは、いかなる当事者とも対話は行われない。」「我々はNATOと戦った素晴らしい経験を持っている。」


同氏は「我々はこの地域を破壊したくないため、この地域を掃討するには時間がかかるだろう。ゼレンスキー氏は重要な情報を持っているため、NATO軍の標的になっている」と締めくくった。
 
出典: RT
 
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