イスラエル軍がガザを百数十機のミサイルで攻撃した。ガザ側から同程度のロケット弾が撃ち込まれたことに対する砲撃だとされているが、パレスチナ側によると、戦闘態勢になかった戦闘員がイスラエル軍に殺害されたことに対する報復だという。
勿論、今回のミサイルの撃ち合いはイスラエルによるパレスチナ人を対象にした民族浄化の一場面にすぎない。シオニストはパレスチナを乗っ取るため、1948年4月4日に「ダーレット作戦」を開始、5月14日に「イスラエル建国」を宣言したが、それは前から住んでいたアラブ系住民を殺害し、追放する「ディアスポラ」にほかならなかった。
この「建国」でシオニストは予定した領土を確保できず、1967年の第3次中東戦争で支配地を拡大するが、それでも予定した地域を支配できていない。少なくとも、南はナイル川から北はユーフラテス川までをイスラエルの領土にしようとしていると考えられている。「大イスラエル」の構想だ。当然、イスラエルはガザやヨルダン川西岸にパレスチナ人の国を作らせるつもりはない。シリア領のゴラン高原も自分たちのものだと思っている。
こうした戦略に基づき、イスラエルはガザを海上封鎖してきた。数ある戦術の中で最も残虐だとも言われる兵糧攻めだ。イスラエルはパレスチナ人に対して戦争を続けてきたのである。
そうしたパレスチナ人弾圧に抗議、医療物資を運んでガザへ向かっている「自由船団」のアル・アウダ(帰還)とフリーダムをイスラエル軍は拿捕、乗っていた人びとを拘束した。その際、イスラエル兵はテーザー銃(ワイヤー付きの電気銃)で乗組員の身体を麻痺させ、棍棒で殴打したとされている。
そのイスラエルはシリアのバシャール・アル・アサド政権を倒し、傀儡体制を樹立させようとしてきた。そのため、アメリカ、サウジアラビア、イギリス、フランスなどと手を組み、サラフィ主義者(タクフィール主義者、ワッハーブ派)やムスリム同胞団を中心とするジハード傭兵を地上軍として送り込んだ。リビアと同じように、地上軍はジハード傭兵、空軍はNATO。
ところが、シリア政府軍、イラン軍、ロシア軍はこの連合軍を粉砕してしまった。中国もシリア政府側について戦うとも言われている。しかも、ジハード傭兵に替わる手先と考えていたクルド勢力もアメリカから離れているとする情報がある。戦闘がアメリカ側のシナリオ通りに進んでいないことが影響している可能性がある。トルコはそうだった。
アメリカやイスラエルにとって平和な状態は好ましくない。中東の支配構造をイスラエル中心に作り替えるためには戦乱が必要だ。イスラエルはガザを戦争の火種と考えているようにも見える。
アメリカの支配層は言論操作から言論封殺へ切り替えつつある。WikiLeaksのジュリアン・アッサンジをロンドンの大使館に匿ってきたエクアドル政府に圧力を加え、同政府はアッサンジを数週間以内にイギリス当局へ引き渡すと言われている。それに加え、2016年のアメリカ大統領選挙でヒラリー・クリントンを支援していた勢力を批判していたアレックス・ジョーンズや彼が発信しているInfoWarsのアップロードしていた映像が削除された。インターネット上での言論封殺に協力している企業として、アップル、フェイスブック、グーグル、スポティファイ(スウェーデンの企業が運営する音楽配信サービス)、ユーチューブの名前が挙がっている。
ジョーンズはイスラエルに関する情報を避けているといった批判もあるが、ビルダーバーグ・グループの動きを取り上げるなど欧米支配層の感情を逆なでするような情報を発信してきたことも事実。映像が削除される直前、NSAの不正を内部告発したウィリアム・ビニーの話を取り上げていた。
ビニーは1970年から2001年にかけてNSAに所属、技術部門の幹部として通信傍受システムの開発を主導、NSA史上最高の数学者にひとりと言われている人物。退職後、NSAが使っている憲法に違反した監視プログラムを告発、2007年にはFBIから家宅捜索を受けている。
アメリカの民主党、司法省、FBIは2016年の大統領選挙でロシアがハッキングしてWikiLeaksへ情報を流したと主張しているが、それを嘘だとビリーは断言してきた。明らかになっているデータからでも情報は民主党のサーバーから直接、メモリーにダウンロードされていると指摘しているのだ。同じ意見を表明している専門家は少なくない。つまり、ロシアゲートは砂上の楼閣にすぎないのだ。
アメリカの支配層が情報操作を目的としたプロジェクトを始めたのは第2次世界大戦が終わって間もない1948年頃。そのプロジェクトの中心にはアレン・ダレス、フランク・ウィズナー、リチャード・ヘルムズ、そしてフィリップ・グラハムがいた。ダレスとウィズナーはウォール街の弁護士。このふたりとヘルムズはOSSやCIAで破壊工作を指揮していた。グラハムはワシントン・ポスト紙の社主で、キャサリン・グラハムの夫だ。(Deborah Davis, “Katharine The Great”, Sheridan Square Press, 1979)
フィリップは1963年8月、ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺される3カ月前に自殺、新聞社は妻のキャサリン・グラハムが引き継いだ。キャサリンと親しかったポリーという女性はフランク・ウィズナーの妻であり、キャサリンから目をかけられたワシントン・ポスト紙の記者がベンジャミン・ブラッドリー。後にニューズウィークの編集幹部に昇格する。
ブラッドリーと結婚したアントワネット(通称トニー)・ピンチョットの姉、マリー・ピンチョット・メイヤーはケネディ大統領の愛人だったと言われているが、そのマリーは1964年10月、ケネディ大統領が暗殺された11カ月後、ウォーレン委員会の報告書が公表された直後、散歩中に射殺された。
キャサリンが社主だった時、ワシントン・ポスト紙はリチャード・ニクソン大統領のスキャンダルを暴き、辞任に追い込んでいる。ウォーターゲート事件だ。その事件の取材を担当したのはボブ・ウッドワードとカール・バーンスタイン。このうちウッドワードは直前まで海軍の情報将校で、取材能力はない。情報源の「ディープ・スロート」を連れてきただけだった。
つまり、ウォーターゲート事件の取材は事実上、バーンスタインが行ったのだが、このバーンスタインはニクソン大統領が辞任した3年後の1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、その直後に「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書いている。有力メディアがCIAの影響下にある実態を明らかにしたのだ。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)
1970年の後半からアメリカではメディアへの締め付けが厳しくなり、気骨ある記者や編集者は排除されていった。日本でも同じことが行われている。1987年5月に朝日新聞の阪神支局が襲撃された後、日本のマスコミは権力の不正について、それまで以上に語らなくなった。
日米を含む西側の支配層は有力メディアを完全に制圧し、プロパガンダ機関化を進めたのだ。2011年9月11日からそうした傾向は強まり、バラク・オバマ政権はさらに加速させた。そして今、アメリカの支配層はインターネット上での情報統制を強化している。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます