三筆の嚆矢の一人(空海・橘逸勢)でもある嵯峨天皇には、
50名近くの皇子女がいました。
その生活費が財政圧迫の原因となり、
最終的には皇子・皇女32名を臣籍降下させました。
これが「源氏」の始まりです。
嵯峨天皇の子で源姓を賜ったものとその子孫を「嵯峨源氏」といいます。
「子子子子子子子子子子子子」
これ、何と読むか分かります?
この時代の政情はとても不安定。
ある日、内裏に「無悪善」と書かれた札が立っていました。
何と読むのか誰もわからない。
そこで、廷臣・小野篁に尋ねると、
「さが無くてよからん」
と書いてあると答えました。
「誰も読めないのに、なぜ分かる。さてはお前が犯人か?」
もしかしたら誰か読めたかもしれませんが、
疑われるのは困る・・・って感じだったかも。
でも篁は読んでしまった。
信頼している廷臣。まさかこんな事をするはずはないが・・・・
「じゃあ、これは何と読む」
書いたのが「子子子子子子子子子子子子」です。
答えは・・・・
「ねこのこ、このこ、ししのこ、こじじ(猫の子、子猫、獅子の子、子獅子)」
「ね」「こ」「し」と読み分けしているのです。
読めないよ・・・普通・・・子が12!
(^∀^A)oO(理解不能…)
京都・右京区、嵯峨野の北にある御廟山の山頂に位置する「嵯峨山上陵」。
第52代 嵯峨天皇の陵墓です。
嵯峨天皇は842年に崩御され、葬られました。
以前、上醍醐陵の記事でも言いましたが、
「△△山上陵」とあれば、その名の通り、「山の上」にあります。
なので、ここに行くのも気合と根性が必要でした。
御陵に初めて訪れたのは2006年の真夏!
2Lのペットボトルを抱え、汗だくになって登りました!
。゜.o。疲o.゜。【―_―川】。゜.o。疲o.゜。
参道の途中で見える景色はすばらしい!
現在、この御陵の入り口は・・・・・
ナンデェェ。・゜(ノД`ヾ)゜・。ェェ
実は2012年の夏、仁和寺、竜安寺に訪問した時から気になってたんです。
これ、なに?
どうやら土砂崩れが発生。崩落の危険があるため、
復旧工事終了まで参拝ができないらしい!
(lll ̄□ ̄)ガーン!!
こちらは嵯峨天皇皇后・壇林皇后の嵯峨陵。
橘姓で初めて皇后になった橘嘉智子の陵墓です。
保津峡に向かう道の途中に参道入り口があります。
仏教に深く帰依し、自らの遺体を埋葬せず路傍に放置せよと言い残し、
遺体が腐乱して白骨化していく様子を人々に示したといわれます。
スゲェ━((o(.;.;゜;Д;゜.;.;)o))━ェエェ!!!
この嵯峨陵。
ブルーシートを「ん??」っと思った日、
参道入り口にコーンが立っているのを目にしました。
なんとここも土砂崩れで、参拝できないようです。
マッ∑( ̄□ ̄ )マヂ?
夫婦そろって・・・ある意味、今も仲良い夫婦?
ヾ(驚゜∀゜*)ノ゛《スゴォオォイッッ!!!!!!!!!))
一度、行ってみて・・・復旧したら・・・
嵯峨天皇:嵯峨山上陵 嵯峨天皇皇后:嵯峨陵