月輪陵・後月輪陵-検証編-

2013-08-27 12:08:15 | 歴史あるトコ-京都

京都市東山区の御陵

月輪陵・後月輪陵

 

たくさんの石塔が並んでいました。

☆;:*:;☆;:*チア(●´Д`●)ワセ;:*☆;:*:;☆;

25陵・5灰塚・9墓あるといいますが、

どれが、どなたのものか、さっぱり。

ワカリマ━─━((乂(д― )三( ―д)乂))━─━セン

一応、石柱が建っているのですが・・・・

塀は高いし、広いし、遠いし・・・・・(o´д`)=эハァー



で、ググってると発見しました!

大正10年に発行された「山陵遥拝帖」

国立国会図書館のデジタルライブラリーで読むことができます。

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/966806

289Pをご覧ください(笑)

大正時代に記された配置図を発見です!!

 

 

 

 その資料とGoogle Earth で確認した図が ↓ 

 

Google Earth はすべて見ていた!

─・゜・(ノ∀´゜)・゜・─笑!!

 

中央部分は怪しいです(笑)

青丸部分が9墓だと思われます・・・たぶん。

 ★印が後月輪陵です。

 

 

没年順(同年は月で確認)でみると・・・・

1242年没  第87代・四条天皇

1586年 陽光太上天皇

1654年  第110代・後光明天皇

1678年  後水尾天皇皇后・和子

1680年没  第108代・後水尾天皇

1685年没  第111代・後西天皇

1696年没  第109代・明正天皇

1710年没  第113代・東山天皇

1712年  霊元天皇皇后・房子

1720年 中御門天皇女御・尚子

1720年没  東山天皇皇后・幸子女王

1732年没  第112代・霊元天皇

1737年没  第114代・中御門天皇

1750年没  第115代・桜町天皇

1762年没  第116代・桃園天皇

1779年没  第118代・後桃園天皇

1783年  後桃園天皇女御・維子

1790年  桜町天皇女御・舎子

 1795年  桃園天皇女御・富子

1813年  第117代・後桜町天皇

以上が月輪陵。

 

ここからが後月輪陵

 1823年没  仁孝天皇女御・繁子

1840年没  第119代・光格天皇

1846年没  第120代・仁孝天皇

1846年没  光格天皇皇后欣子内親王

1847年没  仁孝天皇女御祺子

 

こうやってみると、最初は

四条天皇→陽光太上天皇→後光明天皇と、等間隔で並んでたのかな?

その後、陽光太上天皇と後光明天皇の間が埋まり、

後水尾天皇の中宮和子を囲むように建ち並び、

広がっていったように見える・・・・・・・。

 

あくまでも、推測ですけどね・・・・配置も、建立順も。

まぁ、配置は中央以外は間違いないでしょう・・・たぶん(笑)。

 

 

 

で、何を境に「のちの(後)」月輪陵に変ったのかは・・・・

さっぱり!です。

.....φ(´・Д・`o)ヵキヵキ。o○(全然ヮヵンネェー)

 

 

 閉ざされた、禁断の地。

興味尽きね-----よ。

 

 

そして国立国会図書館、スッゲ━━(★ノ゜Д゜)ノ゜Д゜)ノ゜Д゜)ノ━━ェェエ!!

 

 

一度、行ってみて

京都市東山区 月輪陵・後月輪陵

 

 



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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
実は欲しいんです (ayaka)
2015-10-02 21:25:48
中野歴老様

コメントありがとうございます。
そうなんです。実は陵墓地形図集成・・・欲しいんです。
縮小版で2万弱で購入できるんで、ずーと悩んでる1冊です。
欲しいですね・・・。実に・・・。
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月輪陵 配置 (中野歴老)
2015-10-02 17:58:13
10/02都立中央図書館で宮内庁書陵部「陵墓地形図集成」(中古で69300円、新刊で162000円)を閲覧しました。P.147に月輪陵の「二十五陵、五灰塚、九墓」の完全な配置図が出ています。正式には以下ですが・・・・
「四條天皇月輪陵外二十四陵、後土御門天皇灰塚外四、温仁親王外八墓  之図」
これをご覧になって配置図を完成させて下さい。必要ならコピーをお送りします。
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