(Thu)
先ほどの記事「風の彫刻家」で思い出したこと。
風について大変、素敵って感じてた文章です
尊敬する佐治晴夫博士のコラムより抜粋してご紹介
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「(略)そこで『静』の月光に対して、小さくゆらめくローソクの『動』を
重ねてみるのも素敵です。
この静と動の対比は、月から吹く風を連想させ、冷ややかな月光に、
生きて呼吸するものの暖かさを感じさせますから、
とてもぜいたくな照明になります。
これは、古代ギリシャの人々が、風を大地の呼吸だととらえ、
風の感触とかすかな音を、感情を表出させるための最高の舞台装置だと
考えていたここと共通します。
ところで、呼吸は繰り返し運動です。しかも生存のあかしでもあるのですから、
古代インドの人たちは、宇宙の始まりを『風』だと考えていました。
それは、変わることのない宇宙原理としての『プラフマン(梵)』に対して、
呼吸する『アートマン(我)』の誕生であり、
この両者が永遠の安息の中で一つになる境地を
『梵我一如』という究極の至福の時に見立てました」
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先ほどの記事「風の彫刻家」で思い出したこと。
風について大変、素敵って感じてた文章です
尊敬する佐治晴夫博士のコラムより抜粋してご紹介
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「(略)そこで『静』の月光に対して、小さくゆらめくローソクの『動』を
重ねてみるのも素敵です。
この静と動の対比は、月から吹く風を連想させ、冷ややかな月光に、
生きて呼吸するものの暖かさを感じさせますから、
とてもぜいたくな照明になります。
これは、古代ギリシャの人々が、風を大地の呼吸だととらえ、
風の感触とかすかな音を、感情を表出させるための最高の舞台装置だと
考えていたここと共通します。
ところで、呼吸は繰り返し運動です。しかも生存のあかしでもあるのですから、
古代インドの人たちは、宇宙の始まりを『風』だと考えていました。
それは、変わることのない宇宙原理としての『プラフマン(梵)』に対して、
呼吸する『アートマン(我)』の誕生であり、
この両者が永遠の安息の中で一つになる境地を
『梵我一如』という究極の至福の時に見立てました」
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