(Sun)
尊敬する佐治博士のコラムより /毎日jp
---------------------------------------------------------
「何もない」ことが「ある」面白さ
ゼロって、不思議な数ですね。
0を足しても、引いても、もとの数は変わらなくて、
0を掛ければ、どんな数でも0にしてしまい、0で割ることはできないなどと、
気難しい規則ばかりが目立ちます。しかも、マイナスとプラスの方向に際限なく
広がる数のど真ん中にあって涼しい顔をしています。
0って、何かとてもえらい数なのかもしれません。
実は、紀元前のインドでは、0の存在に気づいていたようですが、
記号化されたのは、5〜6世紀頃だったようです。そして、
アラビアの商人の手を経て、スペイン経由でヨーロッパに広がり、
日本に入ってきたのは幕末から明治にかけての頃でした。
とりわけ日本では、それまで、例えば、二万五千六百三十七というように
書いていた数字を、簡単に25637のように書けることになり、
現代の小学生が習っているような便利な計算法が生まれました。
つまり、一、十、百などの位を右側から並べて書くという位取り記数法ができたのです。
ということは、0の発見が位取り記数法を生み出したともいえます。
まず、それぞれの位のところには9個までしか積み木が入らないような
記数法の模型を想像してください。
そして、1の位のところに、1個、2個……と9個まで積んだとします。
そして10個目になると、1の位は満杯になってしまうので、
そのことを次の10の位にある1個の積み木で代表させます。
これが十進法です。この場合、1の桁(けた)は空っぽになっていますが、
それは、空っぽという状態でいっぱいになっているわけで、
それを0という数字で表して「10」と書いているのです。
つまり、0とは、「空っぽ」の状態がある、ということを意味しているのです。
例えば、金魚鉢に3匹の金魚が入っているとします。
1匹ずつすくっていくと、3、2、1匹になっていきますが、
最後の1匹をすくった後には、0匹が残っていると考えるのです。
そうすると、3、2、1、0という数字の並びがすっきりするでしょう?
さらに、お祭りの時などに見られる金魚すくい。
紙でできたすくい網が破れてすくえない場合には、
0匹すくったと考えるのです。0とは、何もないということではなく、
「ない」ことが「ある」ということを示す数なのです。
インドの古い言葉では0のことを「シューニャ」といいますが、
これが、般若心経でいう「空(くう)」のことで、「空」とは、
目には見えなくても、すべてのことを生み出す要素がぎっしり
詰まっている状態を示す言葉です。それが目に見えるようになった状態が
「色(ルーパ)」で、したがって、見えるものと見えないものは
重なっているという意味で「色即是空」といっているのです。
それにしても不思議なのは、日本のエレベーター。
3階、2階、1階と降りていきますが、
いきなり地階とか地下1階(B1)になってしまいます。
0階はどこに消えてしまったのでしょうか? 不思議ですね。
それとも、0階はあってはならないというのでしょうか?
(続く)
---------------------------------------------------------
尊敬する佐治博士のコラムより /毎日jp
---------------------------------------------------------
「何もない」ことが「ある」面白さ
ゼロって、不思議な数ですね。
0を足しても、引いても、もとの数は変わらなくて、
0を掛ければ、どんな数でも0にしてしまい、0で割ることはできないなどと、
気難しい規則ばかりが目立ちます。しかも、マイナスとプラスの方向に際限なく
広がる数のど真ん中にあって涼しい顔をしています。
0って、何かとてもえらい数なのかもしれません。
実は、紀元前のインドでは、0の存在に気づいていたようですが、
記号化されたのは、5〜6世紀頃だったようです。そして、
アラビアの商人の手を経て、スペイン経由でヨーロッパに広がり、
日本に入ってきたのは幕末から明治にかけての頃でした。
とりわけ日本では、それまで、例えば、二万五千六百三十七というように
書いていた数字を、簡単に25637のように書けることになり、
現代の小学生が習っているような便利な計算法が生まれました。
つまり、一、十、百などの位を右側から並べて書くという位取り記数法ができたのです。
ということは、0の発見が位取り記数法を生み出したともいえます。
まず、それぞれの位のところには9個までしか積み木が入らないような
記数法の模型を想像してください。
そして、1の位のところに、1個、2個……と9個まで積んだとします。
そして10個目になると、1の位は満杯になってしまうので、
そのことを次の10の位にある1個の積み木で代表させます。
これが十進法です。この場合、1の桁(けた)は空っぽになっていますが、
それは、空っぽという状態でいっぱいになっているわけで、
それを0という数字で表して「10」と書いているのです。
つまり、0とは、「空っぽ」の状態がある、ということを意味しているのです。
例えば、金魚鉢に3匹の金魚が入っているとします。
1匹ずつすくっていくと、3、2、1匹になっていきますが、
最後の1匹をすくった後には、0匹が残っていると考えるのです。
そうすると、3、2、1、0という数字の並びがすっきりするでしょう?
さらに、お祭りの時などに見られる金魚すくい。
紙でできたすくい網が破れてすくえない場合には、
0匹すくったと考えるのです。0とは、何もないということではなく、
「ない」ことが「ある」ということを示す数なのです。
インドの古い言葉では0のことを「シューニャ」といいますが、
これが、般若心経でいう「空(くう)」のことで、「空」とは、
目には見えなくても、すべてのことを生み出す要素がぎっしり
詰まっている状態を示す言葉です。それが目に見えるようになった状態が
「色(ルーパ)」で、したがって、見えるものと見えないものは
重なっているという意味で「色即是空」といっているのです。
それにしても不思議なのは、日本のエレベーター。
3階、2階、1階と降りていきますが、
いきなり地階とか地下1階(B1)になってしまいます。
0階はどこに消えてしまったのでしょうか? 不思議ですね。
それとも、0階はあってはならないというのでしょうか?
(続く)
---------------------------------------------------------
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます