石ころ

主の祈り (日毎の信仰告白)

 

あなたがたはこう祈りなさい。
「天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。
御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。
私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。
私たちを試みにあわせないで、悪からお救いください。」(マタイ6:9~13)

 

「天にいます我らの父よ」と印刷された祈りが、「愛する天のお父さん」と心で近しく呼べたときは嬉しかった!「アバ。父」という子どものような呼びかけが、今、赦されているのだと感動したのだ。

 

「御名があがめられますように」という至聖所の祈りには、祭司とされて、今生きている人々がキリストに出会って、御前にひれ伏し、御救いをたまわりますようにと願いつつ祈る。
御名が崇められほめたたえられるために、今日成すべきことを行わせてくださいと願うのは、私には出来ないことが神には出来るからである。

 

「御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。」
天にある神の国のご支配が、今日、地にある私たちにも及びますようにと、心から願い求めて祈る。それは千年王国に在るキリスト支配の前味のようであり、また、私に居て下さるキリストのご支配を求める祈りである。

 

「私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。」
霊、魂、体の糧を、世界で生ける者にたまわりますようにと祈る。飢え渇く人々を思って・・。
私には霊の糧であるみことばを、聖書に触れて「これを」語り聴かせてくださいと願う。それは主に願いつつ、自分自身に「聴け!」と命じることでもある。

 

「私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。」

キリストの十字架によって罪をあがなわれ、義とされた幸いをいつも味わい、主の赦しがなければ一日も生きることが出来ない者ゆえに、心から「みな赦します」と日々に祈る。
赦した事には怒りも悲しみもあり、完全に忘れることは出来ないので、繰り返し宣言する必要がある。

 

「私たちを試みにあわせないで、悪からお救いください。」
神に試みられて誰が堪え得ようか・・、しかし、神は私たちの助けを備えていてくださる。キリストにたまわっている平安に住むことは信仰であり、汚れや悪は、主の守りに留まらない不信仰から出て来るものである。

 

すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを素直に受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。(ヤコブ1:21)


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コメント一覧

ムベ
コメント嬉しいです。
ありがとうございます。主の御名をほめたたえます。
rell248
心に沁み通ります。ありがとうございます。
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