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すると、だれかが言った。「ご覧なさい。あなたのお母さんと兄弟たちが、あなたに話そうとして外に立っています。」
しかし、イエスはそう言っている人に答えて言われた。「わたしの母とはだれですか。また、わたしの兄弟たちとはだれですか。」(マタイ12:47~48)
人はキリストを肉によるアイデンティティに縛ろうとする。「この人は大工の息子」と言い、地にある関係に拠って否定する。
生まれながらの人がどれほど善意に溢れて理解しようとしても、イエスは大工ヨセフの子として生まれたのであり、聖霊によって宿ったことを理解は出来なければ「不義の子」と呼ぶことを正すことが出来ない。
それから、イエスは手を弟子たちのほうに差し伸べて言われた。「見なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。
天におられるわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」(マタイ12:49~50)
しかし、イエスさまは天にあるアイデンティティを主張される。
キリスト者が霊において生まれ変わっても、血肉による関係に縛りつける圧迫を受けることがあるが、イエスさまに習って、十字架を通って与えられた神の子としての身分を主張して安息する者、それは聖霊による確信である。