この一週間多くの時間を猫の額のような庭にいる。よくもまあこんなに狭い所にこんなに色々と植えたものだと、呆れながら猛烈な勢いで伸びる草木と格闘をしている。いずれも主人の愛したものであり、二人の思い出のものもあるけれど・・。
剪定ばさみでパチパチ・・、枝切りばさみでバシバシ・・、のこぎりでギコギコ・・、だから腕がズキズキ筋肉痛。
手当たり次第に切りたいけれど、非力でそれもなかなか思うようには行かない。高い所は恐くてはしごなど使えないと、眺めてため息するばかり・・「あの枝・・切りたいな~」
枝が込み、葉が茂ると毛虫が大量発生する。それに木の枝というものは、伸びるとどんどん嵩張ってどうにもならなくなって・・。雨が降るまでに何と片付けたいと焦っているが、時々は血圧が下がって動けなくなったり。
そんな日々にずっとヨハネ4章ばかり読んでいる。あちらこちらに書き散らし、また思い巡らせ・・、当然のことだけれど、聖書を読めば読むほどイエス様のお人柄が心に染みる。
サマリヤに行かれたときは、すでに人気者で沢山のお弟子を連れて居られたのに、彼女に会われるときにはお人払いで、ひとり井戸端で出会うというお膳立てをされた。それは彼女への気遣い。
彼女は人気のない日盛りに、こっそりと水を汲みに来るそんな立場の女だったから・・。
イエス様はサマリヤの救いのために、一番相応しくない者を用いなさった。
イエス様がこういうお方だから、私も用いて頂く望みはある!と嬉しくなるのだ。
女の受け答えはイエス様と噛み合っていないようでも、主は惜しみなく奥義を語り聞かせ深みに導いてくださる。聴いた言葉は今すぐにはわからなくても、それは時がくればわかるようになる。だから聖書にはドキドキがある。
無理をしてイエス様にレベルを合わせなくても、自分のわかるままに話し自由に質問ができるのは、主は恐くないお方だからである。また、侮ることもなく真実を開かしてくださる。
イエス様の渇きを満たすのは・・彼女のように渇いて居る者なのだと思った。
このような日々の中で、連休中の息子が撮って来た藤があまり奇麗だったから・・久しぶりのブログ。
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