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イエスさまを信じた時は、心の中がきれいに整理整頓されて思いも清められる。イエスさまが悪霊を追いだしてくださったからである。そうして、みことばの光の中で住むようになる。
しかし、常にみことばに聞いて人生を選び取っていなければ、いつの間にか世に流されて光を失って行く事になる。
汚れた霊が人から出て行って、水のない所をさまよいながら、休み場を捜します。一つも見つからないので、『出て来た自分の家に帰ろう』と言います。
帰って見ると、家は、掃除をしてきちんとかたづいていました。
そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みな入り込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。」(ルカ11:24~26)
きちんと片付いている所へ、悪霊は仲間を連れて戻って来るとあり、悪霊も混乱の中ではなくきれいな心が好きだとは驚きである。
私たちの心は一度片付けたらそれで完全なのではなく、世のあらゆるものが出入りする所なので、いつもイエスさまに聞き従う守りの中に居なければ危険なのだ。
イエスさまと一緒に居るならサタンも悪霊も恐れるものではないけれど、ぼんやりとみことばを離れて生きてしまっているなら、その人はイエスさまのものを散らし、敵対する者になって行くのだろう。イエスさまの敵か味方か・・その間という位置はないのだ。
彼らのうちには、「悪霊どものかしらベルゼブルによって、悪霊どもを追い出しているのだ」と言う者もいた。(ルカ11:15)
サタンは人を指して「サタンだ。悪霊だ。」と言わせることがある。イエスさまにさえ言ったのだから・・。人を仲間割れさせるためであるが、聖霊は感情に拠らずに霊を見分けさせてくださる。
暗やみに居る者には、キリストとサタンを見分ける事さえできない。霊の目がはっきり見えているように、一日一日イエスさまのみことばに身を避けて生きることは、それが人の目にどのように映ろうともキリスト者の平安な道なのだ。
からだのあかりは、あなたの目です。目が健全なら、あなたの全身も明るいが、しかし、目が悪いと、からだも暗くなります。
だから、あなたのうちの光が、暗やみにならないように、気をつけなさい。(ルカ11:34~35)