今朝、主人の主治医から電話がかかってきた。
「ご主人の検査の数値が良くないので、今日から週3回の点滴を行います。来られますか?」とのことだった。
いつもは主人が一人で通って居るのだけれど、今日は何もかも放って置いて付き添って出かけることにした。
以前から覚悟していたことでもあった。老いて行くということはこういうことでもあると・・。
主人と頭を付き合わせてイエスさまにすべてのことをお導き下さいと、お祈りをして出てきたのだった。
車の中で、「しかし何処も痛くもなく、苦しくもなく、なんでも食べられるし、何処にでも行けるんだからいいね。」と言うと、主人も「何処が悪いって・・自覚症状がぜんぜんないからなぁ・・」どこか他人事みたいな言い方をしていた。
実は、その自覚症状の無いことが恐いのだけれど・・。無理をするなとクドクドと言っても、そもそも「無理」の意味がわからないみたいで「こんなことくらい何でもない」と言うばかり・・私は祈るだけだった。
でも、みことばは「妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。」(エペソ5:22)とは教えていても、夫を指導しなさいとはひとことも言ってはいないのだから、私にはその責任はないということ。
そのことがとても気が楽、ただ結果を主人に付き添って一緒に負うだけ。それも、イエスさまが共に居て下さるから大丈夫負うことが出来るだろう。
お医者さんの説明は、想像以上に先の見えないお話だったけれど、そのお話の中でなぜか私は笑ってしまった。声を立てて笑ってしまったことを、今とても反省している。
だぶん、なんて妻だと・・非常識だって思われただろうな・・なぜ笑ったのかと、今考えているのだけれど・・
でもね、ひとつ分かっていることは、どうしてもどんなときも不幸にはなれないということだけ。行き詰まることは無いということ。
危急の時ほど、脳天気な希望がすごい勢いで追って来るのだから・・主人と一緒にのんびりと御国に向けて歩いて行こう・・。
「まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。」(詩編23:6)
コメント一覧
石ころ
イチゴ o(*^▽^*)o
最新の画像もっと見る
最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事