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石ころ

ノアの箱船の交わり



今週はノアの箱船について、「電気屋さん」のメッセージをお聞きした。
船大工のお話は興味深く、家を造るよりも難しいということはよく分かった。そうだろうなぁって。だって我が家のように隙間だらけの船だとたちまち沈むだろうから・・。でも、それだけのことではなく、木というものは膨張したり収縮するという問題があるということに、そのやっかいさは経験者だけが知っている知識だなぁ・・と楽しく聞いていた。

「ノアには、最低箱船が必要であった。だから、すべて神が命じられたとおりにしたノア。
今、ノアより優れていない者に天国はない。」そのメッセージは衝撃的であって、「今、私たちにとっての箱船とは、イエスを建て上げることである。」とのことだった。
今の私にとって、イエスを建て上げるということは何なんだろうと・・私がこれから主に聴いて行くこと。


箱船を100年という時をかけて造るノアの信仰を、それぞれに話し合った時、メッセンジャーの方は、ノアは楽しく働いただろうと話されて、その費用はいくらでもイエスさまに請求出来るというお話には、このことはメッセンジャーの方のお証なのだろうと、私は自分の経験と重ねて合わせてアーメンした。だから、その楽しさはいくらか想像出来たのだけれど、
saltさんは、100年のプロジェクトとしては救われたのが8人では失敗だろうと話されて、それも確かにそのとおりだと思ったりもした。
私はそんな迷いの中で、ノアはなぜ100年間も確信を持って働き続けることが出来たのだろうかということ、その答えをはっきりと知りたくなっていた。


福音書はなぜか四人の筆者によって書かれている。証人は二人以上と聖書に書かれているからなのだろうけれど・・。
イエスさまの同じような場面を語っていても、それぞれ自分のもっとも印象的なことを話すから、少しずつ表現が違っていたりする。

同じ箇所のメッセージを聞いたときに、人によって主から示される内容に違いがあっても、みことばが語られているときは何の違和感も感じない。
なにしろ聖書は、何千年にも渡って時代も価値観も違う人々を導く神の書物であり、霊のことばなのだから。
マニュアルとは違うのは当然で、その幅、その行間を縫うように、全ての人の、すべての時代に必要な言葉が詰まっているのだから。

心の偏狭な私でも、自由にみことばが語られる交わりは発見があって楽しく、少し世界が広がる思いがした。そこでは、純粋にみことばだけが語られていて、皆さんが自分の言葉で話して居られたから。

みことばには日々新しい発見がある。そうして、リアルに今に置き換えようとするとき、戸惑いや、手探りもあるけれど、
「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなた方と共に居ます。」という主のみ約束があるから大丈夫だと、教会の前に広がる黄金色の田を見ながら深呼吸をした。

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コメント一覧

石ころ
感謝します
みことばを中心にして、あんなにわいわいと話せるのですね。

集まった者が、それぞれ自分の人生に重ねて、建前でではなく話す言葉は、乱暴な一致よりも味わいがありました。
Salt
電気屋さんの生き様が垣間見えるお話でしたね。

書いてくださったように、みことばと絡まる自分のことばが大事なのです。

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