レアがヤコブに産んだ娘ディナは、その土地の娘たちを訪ねようと出かけて行った。
すると、その土地の族長であるヒビ人ハモルの子シェケムが彼女を見て、これを捕らえ、これと寝て辱めた。
彼はヤコブの娘ディナに心を奪われ、この若い娘を愛し、彼女に優しく語りかけた。
シェケムは父のハモルに言った。「この娘を私の妻にしてください。」(1~4)
辱めた罪を「愛」とか「結婚」という美しい言葉にすり替える事は卑劣である。そのような支配にある「優しい言葉」は真っ赤な偽りであり、DVの何処に信頼すべてきものなどあろうか。分かり切ったことである。
ヤコブは、シェケムが自分の娘ディナを汚したことを聞いた。息子たちは、そのとき、家畜を連れて野にいた。それでヤコブは、彼らが帰って来るまで黙っていた。
シェケムの父ハモルは、ヤコブと話し合うためにやって来た。
ヤコブの息子たちは野から帰って来て、このことを聞いた。息子たちは心を痛め、激しく怒った。シェケムがヤコブの娘と寝て、イスラエルの中で恥辱となることを行ったからである。このようなことは、してはならないことである。(5~7)
彼らは、もっともらしい言葉の蔭でイスラエルを侮っている。ヤコブは沈黙して何を画策しているのか・・、彼はイスラエルとしてディナを守らなければならない立場である。
兄弟が即座に心を痛めて怒ったことは、ヤコブとは対照的であった。
ハモルは彼らに語りかけた。「私の息子シェケムは、心からあなたがたの娘さんを恋い慕っています。どうか娘さんを息子の嫁にしてください。
私たちは互いに姻戚関係を結びましょう。あなたがたの娘さんを私たちに下さり、私たちの娘をあなたがたが迎えてください。
そうして私たちとともに住んでください。この土地は、あなたがたの前に広がっています。ここに住み、自由に行き来し、ここに土地を得てください。」
シェケムは彼女の父や兄弟たちに言った。「皆さんのご好意を得られるのなら、おっしゃる物を何でも差し上げます。(8~11)
彼らは甘い言葉を用いてディナばかりではなく、イスラエル自体を買い取ろうとした。土地を与えるふりをしても、それは神のものを根こそぎ奪う行為である。
神の民を侮って言葉の罠に掛けるなら、それはいずれ神によって滅びに至る行為である。
此処では事実とは裏腹な言葉があふれている。まるで現在の世相そのまま・・。
一番初めに事を聞いていながらヤコブが沈黙のままであったように、息子たちも沈黙していたなら、ディナは買い取られ彼らもその後に続いていたのである。
ヤコブの息子たちは、シェケムが自分たちの妹ディナを汚したので、シェケムとその父ハモルをだまそうとして、
答えた。「割礼を受けていない者に私たちの妹をやるような、そんなことは、私たちにはできません。それは、私たちにとって恥辱となることですから。
ただし、次の条件でなら同意しましょう。もし、あなたがたの男たちがみな、割礼を受けて、私たちと同じようになるなら、
私たちの娘たちをあなたがたに嫁がせ、あなたがたの娘たちを妻に迎えましょう。そうして私たちはともに住み、一つの民となりましょう。(13~16)
欺きの言葉には、欺きの言葉で返したのだ。
彼らの言ったことは、ハモルと、ハモルの子シェケムの心にかなった。
この若者は、ためらわずにそれを実行した。彼はヤコブの娘を愛していたからである。彼は父の家のだれよりも敬われていた。
ハモルとその子シェケムは自分たちの町の門に行き、町の人々に告げた。(18~20)
次の条件でなら、あの人たちは、私たちとともに住んで一つの民となることに同意すると言うのだ。それは、彼らが割礼を受けているように、私たちのすべての男たちが割礼を受けることだ。
そうすれば、彼らの群れや財産、それにすべての彼らの家畜も、私たちのものになるではないか。さあ、彼らに同意しよう。そうすれば、彼らは私たちとともに住むことになる。」(22~23)
ディナの花嫁料が土地のすべてであったとしても、神の民が売り買いされたことは事実となる。
息子たちの方法は残虐であったが、彼らの言いなりに一つになることは神の民ごと売り買いされて、ディナのように彼らの好みのままの奴隷なのである。
その町の門に出入りする者はみな、ハモルとその子シェケムの言うことを聞き入れ、その町の門に出入りする男たちはみな割礼を受けた。
三日目になって、彼らの傷が痛んでいるとき、ヤコブの二人の息子、ディナの兄シメオンとレビが、それぞれ剣を取って難なくその町を襲い、すべての男たちを殺した。
彼らはハモルとその子シェケムを剣の刃で殺し、シェケムの家からディナを連れ出した。(24~26)
ディナの締まりのない行為によって始まったことは、彼らが仮初めの平和にどっぷりと浸かっていた結果であろう。
それによってこの悲劇的な結果に至ったのであり、神の民は、自分たちが何者であるかと言う絶えざる自覚によって、自他を守らなければならないのである。