悪しき者は そうではない。
まさしく 風が吹き飛ばす籾殻だ。
それゆえ 悪しき者はさばきに
罪人は正しい者の集いに 立ち得ない。
聖書の悪しき者と正しい者とは、善悪の知識の木の実を食べた者の、「善悪」の基準とは全く違う。
どれほど良い行いをしていても、それが神から出たことではないなら、神の前に正しいことではない。なぜなら、その行いによっては人は救われないからである。
まことに 正しい者の道は主が知っておられ
悪しき者の道は滅び去る。
神の国に入るには、神の御子イエスを自分の罪の救い主と告白する信仰から始まる。それは神を神とすることであり、それこそが救いに至る唯一の正しい行いとなる。
人の成す世の行いは、良いも悪いも死によって永遠の滅となり、ただ、キリストによる神との和解のみが、永遠の救いとなるのである。
人の正しい行いとは、神が遣わしてくださったキリストのあがないを信じ、自分自身を神に明け渡し、心の中に救い主を迎えたことである。そのことによって、人は始めて何が良いことであるかを知るのだ。
誰であってもイエスさまの御名を呼び、そのあがないに身を寄せるなら、その人は正しい者となる。
神のひとりの御子をたまわった者に主は言われる。
「わたしの目にはあなたは高価で貴い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4)
初めに神が愛していてくださったから、人はイエス・キリストを告白することができるのである。