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「あいづちロボット」の記事を読んで、ああ、主人が私に求めていたものだ・・と可笑しかった。
主人はあいづちだけを求める時があり、私は理解を深めたくて理屈を言うから衝突することがあった。「『そうやね。』って言え」と言っていたことを、少しの同情と共に思い出して・・。
ロボットには内容はもちろんわからないが、言葉の抑揚などに合わせて「うん」とか「はい」とか答えてくれるという。
でも、ウサギのとこちゃんでさえ「かわいいね。」と話しかけるとスリスリと鼻面を突き出して寄って来ても、「どうしたらいいと思う・・」などと悩みをぶちまけていると、必ずクルッと背中をむけられたのだ。
生きものならおおよその感じが伝わるから、いつでもってあいづちを打ってくれるとは限らない。確かにロボットなら可能な世界なのだろうなぁ とアハハ・・だったのである。
ひとり暮らしの中で主は時々笑わせてくださる。
クスッとだったり、アハハ・・と爆笑だったり・・。ひとり暮らしで笑っているのを聞いた人はちょっと恐いかも・・。
でも、主が笑わせてくださるときは幼子のようになる。だから嘲笑は決してない。
私がもっとも多くお話するお方は主。何でも話す。打てば響くように答えが返って来た時はそのみことばを抱きしめる。
今日はエペソ16章を読んでいて「天にいるもろもろの悪霊」という言葉に、「嫌だね。もろもろの悪霊のいる天なんて・・」そう思ったので主に尋ねた。
すぐに「みこころが天になるごとく」と示された。
ああ、そうか!って、天はみこころだけが成る所。何が居てもみこころしかならないのだ。それが地との大きな違い。
疑問が解かれることはとても嬉しいのだけれど、もっと満足を得るのは御父、御子、聖霊の御交わりに居らせていただけること。それ以上の喜びは他にない。
ほとんどひとりなので、そういう意味では淋しい時があるけれど、主は時々くすぐるようにフッと笑わせてくださるからそれはとても甘いのだ。