石ころ

神の言葉は非常に重い ⑦(ヨブ記)

 

ナアマ人ツォファルが答えて言った。
ことば数が多ければ、言い返しがないであろうか。舌の人が義とされるのだろうか。
あなたのおしゃべりは人を黙らせる。あなたはあざけるが、だれもあなたを恥じさせる者がない。(11:1~3)


  
ツォファルの言葉は、ヨブと神の間に立ち入って邪魔をしている。確かに、彼はおしゃべりを止めて黙るべきであった。

 

ああ、神がもし語りかけ、あなたに向かってくちびるを開いてくださったなら、
神は知恵の奥義をあなたに告げ、すぐれた知性を倍にしてくださるものを。知れ。神はあなたのために、あなたの罪を忘れてくださることを。
あなたは神の深さを見抜くことができようか。全能者の極限を見つけることができようか。(11:5~7)

 

この通りに、神がヨブに語られることを彼は見るようになる。しかし、この言葉は神が語られることである。
この時、神に成り代わって教える者を神は喜んではおられない。神は、これらの人の言葉には一言の評価もされていない。

 

ヨブはすべての言葉を直接神に向かって語り、サタンを意識することは決してなかった。ヨブはすべての出来事の中に神だけを見ている。このことが彼の神への深い信頼を現わしている。
人も不用意にその間に立ち入るべきではなく、ヨブを愛しておられる神に信頼し、神の意図を恐れて、静かな忍耐の中に居るべきである。

 

人の正しさが神に評価されるのではない。義人はひとりもいないのだ。ただ、神が正しいとされる時に正しいのである。
聖い信仰は自分の判断をわきに置いて、神のさばきに従順してひれ伏し、すべての出来事の中で礼拝するのである。

 

あなたの一生は真昼よりも輝き、暗くても、それは朝のようになる。
望みがあるので、あなたは安らぎ、あなたは守られて、安らかに休む。
あなたが横たわっても、だれもあなたを脅かさない。多くの者があなたの好意を求める。(11:17~19)

 

ヨブの後の人生に、神はこのような祝福をもって彼を証してくださる。この言葉の通りになるが、だからと言って、語ったツォファルが評価されることはなかった。


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