イエスは、そのうちの一つの、シモンの持ち舟に乗り、陸から少し漕ぎ出すように頼まれた。そしてイエスはすわって、舟から群衆を教えられた。
話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」と言われた。
するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」(ルカ5:3~5)
ペテロはイエスさまのメッセージを舟の中で聴いていた。イエスさまのことばにある力を知ったのだ。
だから、一晩中の労苦をもう一度繰り返すことを選び従ったのだ。みことばに従うことは、自分自身を差し出して捧げものとすること。その他のことは何も考えない聖さの中で・・。
そして、そのとおりにすると、たくさんの魚が入り、網は破れそうになった。
そこで別の舟にいた仲間の者たちに合図をして、助けに来てくれるように頼んだ。彼らがやって来て、そして魚を両方の舟いっぱいに上げたところ、二そうとも沈みそうになった。(ルカ5:6~7)
イエスさまのことばの豊かさは、分かち合ってなをあまりあり、一緒に居る人を巻き込んで豊かに満たす力なのだ。御力を経験させてくださる恵みは、ひとりの人がみことばに従ったことから始まるのである。
これを見たシモン・ペテロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから」と言った。
それは、大漁のため、彼もいっしょにいたみなの者も、ひどく驚いたからである。
シモンの仲間であったゼベダイの子ヤコブやヨハネも同じであった。イエスはシモンにこう言われた。「こわがらなくてもよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです。」
彼らは、舟を陸に着けると、何もかも捨てて、イエスに従った。(ルカ5:8~11)
みことばの力を経験することは恐ろしいことでもある。かって見たことも聞いたこともないことを経験するからである。それゆえ自分が受けるに相応しくない者であると思い知るからである。
一緒に経験した彼らは、目で見ている豊かさを選ばず、力のことばを持っておられるイエスさまを選んで従っていった。それは恐ろしく賢い選択である。
しかしそれは、神さまが彼らの内に予め備えてくださっていたものなのだ。
あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。(ヨハネ15:16)
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