イエスは道の途中で、生まれつきの目の見えない人を見られた。
弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」
イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。」(ヨハネ9:1~3)
聴覚障害の次男を聾学校幼稚部から地元の小学校に入れて、勉強はすべて私が教えていた。教育方法は聾児に英才教育をしておられた二人の先生に、大阪や京都に通って教えていただいての事であった。
息子は順調に学校に通い勉強も遅れる事もなく頑張っていたが、小学校3年の終わり頃になって、「僕は部品か足りないのだから・・」と勉強をしなくなり、「僕が死んだ方がお母さんは楽になる」と言って夜は泣くようになった。
この時はじめて私は絶望した。頑張れば乗り越えられると必死になって来た事が、突然すべて崩れ、命の危険まで感じるようになったからだった。
その時に、彼の同級生のお母さんに教会に連れて行って頂いたのだった。彼女には以前からトラクトを頂いていて、これは本当に主の備えられた時であった。
ヨハネ9章3節のみことばを息子の机に貼ると、彼はすっかり落ち着いて元のように勉強もし、教会学校にも通うようになった。
後に息子に「死ぬ」と言ったことを話した時、「まったく覚えていない」と言われて、主が彼の心を完全に癒してくださったのだと深く感謝したのだった。
イエスは、こう言ってから、地面につばきをして、そのつばきで泥を作られた。そしてその泥を彼の目に塗って言われた。
「行って、シロアム(訳して言えば、遣わされた者)の池で洗いなさい。」そこで、彼は行って、洗った。すると、見えるようになって、帰って行った。(ヨハネ9:6~7)
「地面につばきをして、泥を作り・・」つばきはイエスさまの口から出たもので、それはみことばの消えない形のようである。土はアダム(人)の材料だから、その泥は彼の体に一体となって、イエスさまの言葉は彼に馴染んで留まり続けるだろう。
息子は中学校に入ると、ひとり障害児学級に隔離されても先生に従順に従い通し、私も教えてきたことを全否定され、教える事も禁じられつつその言葉の通りに従い続けた。
彼は3年間本を読で過ごし(それは後の大きな力になった)、私は一切の手出しを止めてイエスさまにすべてをお任せし続けた。あの3年間は親子でシロアムに向かって歩いていたのだと思う。
彼が地元の高校に入ったとき私たちは解放された。彼は色々な部活に入って先生にも愛され自由を楽しみ、私はイエスさまに信頼して安息した。
シロアムに向かう経験は、ずっと一緒に歩いてくださるイエスさまの経験である。みことばを聞かずに耐えられる日はなく、みことばの約束だけが希望の光であったから・・。
わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行わなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます。
わたしが世にいる間、わたしは世の光です。(ヨハネ9:4~5)
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