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石ころ

「死」

 それはイエス様が涙を流された人間の事実。十字架に拠らなければ、どんな人も死は永遠の滅びでしかない。なのに、「死=天国」そんな幻想によって、どれほど誤魔化されていることだろうか。私はその言葉の向こうでサタンの嗤いが見えるように思う。

 もし、死がこれほどに軽々しく誤魔化されていなければ、もう少し大切に生きるだろうし、もう少し信じるに足りる確かな真理を、命のある間に探し求めるだろうと思う。

 今、人が死んだ時に、「それは嘘だ」と暴かれることはない。サタンの思惑通りに人の感情や、常識がそれをさせない。

 人間の死に涙を流してくださったイエス様。そして、その永遠の滅びの「死」を十字架で解決してくださったイエス様。罪をあがない、永遠のいのちに至る道を開いてくださった。

 しかし、今もイエス様の涙を誘う死が、無意味なきれい事の言葉で飾られて、激しい勢いでいのちを持ち去り続けている。

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コメント一覧

石ころ
いつも残念、無念です。
一生懸命に精一杯伝えようとされているご様子が、ひしひしと伝わってきます。

私は偉そうなことを言っても、本当に何も伝えられない者です。残念です。無念です。
いつもイエス様に逃げ込んで、「主よ、こんな私を助けて下さい。」というばかりです。

本当に聖書をもっとよく知って、とっさの時にも明確にみことばを伝えることが出来るようになりたいです。

うまころ
そういえば・・
こんにちは。少し春めいてきましたね!
肌に感じる空気はまだまだつめたいですが・・・
死・・目を背けたい現実です。
そういえば、数ヶ月前、仕事場の先輩のお母様がお亡くなりになったときのこと。
その先輩は
「母はいろいろと心理的な苦労をして、人を許せないで苦しみの中なくなりましたが・・
死をもって、母の心も浄化されたんではないかと思います。 人の邪念や欲や悪は全て死によって清くされると思います。」
とおしゃっていました。
私はそうではないと言いたかったげれど、遠まわしに「この世でのことが全ておじゃんになる訳ではないはずです。私達の心がそういっています。死で全て解決とは、心は納得いきませんよね。」とだけ答えました。
命の重さそして死の重さを本当に知るのはイエスさまの十字架を信じたときですね。
聖書をもっと味わいたいとおもいます。
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