イエス・キリストはすべて人の救いの為に、十字架で身代わりの命を捧げてくださった。罪の代価は支払われて救いは「完了した」のだ。救われるために人がしなければならないことは何もない。
しかし人は、何一つ付け加えることが出来ない事は気に入らなくて、謙って受けることを避けるために思いつく限りの善を行おうとする。
私が救われたのも力尽きて何も出来なくなった時だった。だから私は、救われる人を望みをもって待つことができるのだ。
あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。
それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。(ヨハネ15:16)
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