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今日はゆっくり雪だるまを溶かしてゆく雨が降っていた。私は暇・・。
昨日干した、羽毛布団が部屋に畳んだまま置いてあったので、ふかふかの布団に体重を掛けて押さえつけ、次々と布団袋に押し込んで押し入れに仕舞い込む。部屋にはまだ太陽の香りが残っていて・・嬉しかった。
王は宦官の長アシュペナズに命じて、イスラエル人の中から、王族か貴族を数人選んで連れて来させた。
その少年たちは、身に何の欠陥もなく、容姿は美しく、あらゆる知恵に秀で、知識に富み、思慮深く、王の宮廷に仕えるにふさわしい者であり、また、カルデヤ人の文学とことばとを教えるにふさわしい者であった。(ダニエル1:3~4)
これは世の選びだと思った。人が人を選ぶ時の普通の判断である・・。世界中今も昔も変わらない。世は何時だってこう言う判断で人を選択する。若くて、美しくて、家柄も良くて、その身に何の欠陥もなく、賢くて性格の良い完璧な者を求める。
しかしほむべきかな!イエス・キリストは病んで医者を必要としている者、弱くて助けを必要としている者、世から取るに足りないと疎んじられている者、また自分で自分を救えない罪人を選んで、世の誰もが相手にしたくない者の所に来てくださったのだ。
自分からは「主よ。助けてください」と声を上げることさえ出来ない者に、「良くなりたいか」と御声をかけて近付いてくださる。
イエス様にしか救えない。
立派な人の側に行くと人は良い影響を受けるだろう・・。しかし、ろくでなしに近付いてなんの良い事があるだろう。それはうっとうしいだけだ。力のある王様でさえも、そんな者に関わることはしない。
しかし、世に完璧な者などどれだけいるのだろう・・、そうでなくても人は皆、いつか老いて役に立たなくなってしまうのだから・・。それは世の選びから漏れてゆくということである。
神の選びはその大多数に備えられてあるのだ。感謝なことだと胸が熱くなった。
神はこの四人の少年に、知識と、あらゆる文学を悟る力と知恵を与えられた。ダニエルは、すべての幻と夢とを解くことができた。(ダニエル1:17)
しかし、この最も優れた少年たちの中から選ばれ、完璧に思われたダニエルたちであっても、神様のご計画を成し遂げるには、彼らの持って生まれたものでは役にたたないのだ。神様の計画のためには、まったく新しい上から賜る力によらなければ、働きを成し遂げることができないのである。
ダニエル達にはそれを受ける謙遜があったのだと思う。