掛け布団をはねのけてゆっくり立ち上がる。昔は、掛け布団を跳ねた勢いで飛び起きては、時々ひっくり返った。主人に「血圧が低いのにそういう起き方をするな」と言われて止めた。好きな起き方だったけれど・・。
私はベットにはしないと決めている。和式トイレにこだわっているのと同じ理由。私には日常生活が大儀なことは身のためだからである。
わざわざスポーツをする気がないから、どうしてもしなければならないことに筋トレのチャンスを仕込んでおく。それが怠け者には効き目がある。
食べることも好きなので朝から野菜などのスープを作り、サラダや炒り雑魚、トーストにはチーズやレタスやトマトを乗せてマヨネーズを少しかける。コーヒーを淹れて、それも甘味が欲しいので砂糖とミルクを入れる。この年で、ダイエットの犠牲にするには惜しい楽しみなのだ。
昼も夜もきちんと好きなものを作り「ああ、美味しかった。イエスさま感謝します。」と心からのごちそうさま。時には「あまり美味しくなかった。」と口から出ることもあるが、「贅沢になったものだね」と自分に向か一言戒めておく。
梅雨晴れに洗濯物を手にして伸び上がると、澄んだ空気が腹まで流れ込んで来る。
眩しい朝日にしっかりと顔を上げて、鬱と、骨粗鬆症と、呆けに向かって神さまが備えてくださった命を照射。
布団から出ると「イエスさま。この元気を感謝します。今日の成すべきことを全部行わせてください。」と真っ直ぐに立つ。仮にしんどくて動けなくなる時間があっても、毎日、少しのドキドキと期待のワクワクには変わりがない。
朝毎に少しの緊張感と期待感があるのは、今日何をするのか、何を教わるのか、朝の私は知らないからである。
今日までの80年と5ヵ月すべての時が、イエスさまの愛と赦しのまなざしの中に在ったように、これからの一日一日もイエスさまが一緒にいて下さる。ワクワク、ドキドキしないわけがない。