6章でパンの奇跡を経験しているのに、弟子たちのこのような反応はなんだろうと思った。また8章の14節でも、「パンを一つしか持ってこなかった」と互いに議論をはじめていた。いつもいつも「パンがない」と弟子たち。
人は食べないと生きていけないから恐れる、弟子たちのようにお金がないとパンが買えない。人の面倒を見ている場合じゃないと・・。今日のパンがあっても明日のパンを思い煩い、老後のパンを思い煩う。思い煩うのは悟るところがなく、その心は堅く閉じているから。
パンが5つあるとき、主によって5000人が満腹して12かご余った。パンが7つの時4000人が満腹して7かご余った。弟子の手元には1つのパンがあったからそれで十分だった。私たちがどれだけ持っているかなんて、主の御手を経るときなんの関係もない。主はいつも私たちに1つは持たせていてくださる。
日々の小さな奇跡も謙遜なら覚えている。そんなことから信仰は積み重ねられて、思い煩う者ではなく主に安息して、主を賛美する生活を導いてくださるのだと思う。
わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。(詩編103:2)
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