9:8 近所の人たちや、前に彼がこじきをしていたのを見ていた人たちが言った。「これはすわって物ごいをしていた人ではないか。」
9:9 ほかの人は、「これはその人だ。」と言い、またほかの人は、「そうではない。ただその人に似ているだけだ。」と言った。当人は、「私がその人です。」と言った。(ヨハネ9章)
「私がその、罪のために目が見えなかった者です。」彼の告白は単純であった。
9:39 そこで、イエスは言われた。「わたしはさばきのためにこの世に来ました。それは、目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです。」
9:40 パリサイ人の中でイエスとともにいた人々が、このことを聞いて、イエスに言った。「私たちも盲目なのですか。」
9:41 イエスは彼らに言われた。「もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたに罪はなかったでしょう。しかし、あなたがたは今、『私たちは目が見える。』と言っています。あなたがたの罪は残るのです。」
それは何によって見ているのか。
3:4 そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
3:5 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」(創世記3:4~5)
その時から人類の目は開け、見える、聞こえる、考える、だから分かっていると言う。そうして神のようにふるまうようになった。
「あの方が私の目に泥を塗ってくださって、私が洗いました。私はいま見えるのです。」(ヨハネ9:15)
誰によって・・彼はイエスによって見たのだ。サタンによって開かれず、見ることがなかった者の幸い。
9:35 イエスは、彼ら(ユダヤ人たち)が彼を追放したことを聞き、彼を見つけ出して言われた。「あなたは人の子を信じますか。」
9:36 その人は答えた。「主よ。その方はどなたでしょうか。私がその方を信じることができますように。」
9:37 イエスは彼に言われた。「あなたはその方を見たのです。あなたと話しているのがそれです。」
9:38 彼は言った。「主よ。私は信じます。」そして彼はイエスを拝した。
生まれつきの目ではなく、イエスによって開かれた目でイエスを見る者の幸い!ハレルヤ!
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