弟子はイエスも神をも知らない人々から迫害された。弟子は世のものではないからである。
もし人々がわたしを迫害したなら、あなたがたをも迫害します。もし彼らがわたしのことばを守ったなら、あなたがたのことばをも守ります。
しかし彼らは、わたしの名のゆえに、あなたがたに対してそれらのことをみな行います。それは彼らがわたしを遣わした方を知らないからです。(ヨハネ15:20~21)
真理の御霊はイエスさまをあかしする。弟子もイエスさまをあかした。イエスさまと初めから一緒にいたからである。教会はこのあかしに上に建っている。
弟子はイエスさまと同じように組織から追放され殺された。そうすることで、神に奉仕していると思う時があるからである。
それは彼らが、神さまもイエスさまも知らず、真理について知る事がなかったからである。
人々はあなたがたを会堂から追放するでしょう。事実、あなたがたを殺す者がみな、そうすることで自分は神に奉仕しているのだと思う時が来ます。
彼らがこういうことを行うのは、父をもわたしをも知らないからです。(ヨハネ16:2)
弟子は聖霊によって真理について知っている。
罪とはイエスさまが神のキリストであることを認めないこと。十字架により罪をあがなって、天に帰られたイエスさまが完了された神の義。不法のものサタンはすでにさばかれていることである。
わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。
罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。
また、義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなるからです。
さばきについてとは、この世を支配する者がさばかれたからです。(ヨハネ16:7~11)
弟子は、イエスさまと一緒にいられないことを悲しむが、再臨の望みを持っている。必ず悲しみは喜びに変わる時があり喜びをうばうものはない。
あなたがたにも、今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなたがたに会います。そうすれば、あなたがたの心は喜びに満たされます。そして、その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。(ヨハネ16:22)
弟子は何でも神さまに願い求めて満たされる。イエスさまを信じて神さまに愛されているからである。
その日には、あなたがたはわたしの名によって求めるのです。わたしはあなたがたに代わって父に願ってあげようとは言いません。
それはあなたがたがわたしを愛し、また、わたしを神から出て来た者と信じたので、父ご自身があなたがたを愛しておられるからです。(ヨハネ16:26~27)
何時の世にも、弟子にはイエスさまから聴いたことばによる平安がある。弟子から喜びを奪うものはない。弟子はイエスさまの愛によって勇敢である。イエスさまが世に勝利しされたからである。
わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネ16:33)
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