石ころ

主が望んでくださった者(詩篇132篇)

 

主はシオンを選びそれをご自分の住まいとして望まれた。(13)

 

キリスト者も初めに神が選んでくださった者である。取るに足りない者が望ばれたのである。神の価値観と人の価値観はまったく違うことがわかることである。その違いを信仰生活の中で、聖霊が解き明かし続けて、一方的な恵みを経験させてくださる。


キリストの十字架の血のきよめによって、驚くべきことに三位一体の神の御住まいとしていてくださるのだ。

 

だれでも、イエスが神の御子であると告白するなら、神はその人のうちにとどまり、その人も神のうちにとどまっています。(Ⅰヨハネ4:15)

 

「これはとこしえにわたしの安息の場所。ここにわたしは住む。わたしがそれを望んだから。(14)

 

神が私たちを安息の場所としていてくださる。これ以上安心なことは無い。その条件はキリストの十字架の死と復活を信じるだけである。

神が安息していてくださるゆえに、私たちはなおさら神の御約束のうちに安らぐのである。それは私たちが何をしたかということではなく、幼子の応答によることである。

 

わたしは豊かにシオンの食物を祝福しその貧しい者をパンで満ち足らせる。(15)

 

創造主を知らぬいのちの知識の貧しさの中で、短絡的な夢と望みによって疲弊し、命をすり減らして生きていた者であった。

キリストのみことばにであって、聖霊が解き明かしてくださるいのちのことばを経験するとき、罪からの解放と主とともに生きる新しいいのちを頂いたのだ。みことばは日ごとに霊と魂を満たし、体にもみこころを行うための必要を備えてくださる。

 

その祭司たちに救いをまとわせる。その敬虔な者たちは高らかに喜び歌う。(16)

 

キリスト者はみな祭司として召され、その栄誉をたまわり主に仕える者としてくださった。働きのためのみことばのパンを日々に備えて、永久まで主が養ってくださる者である。


どうして、このような恵みを歌わないでいられよう。
どうして、神に望まれたこと、うちに安息していてくださることを、感謝にあふれてほめたたえずにおられよう!


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