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ひとりの人がイエスのもとに来て言った。「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。」
イエスは彼に言われた。「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方は、ひとりだけです。もし、いのちに入りたいと思うなら、戒めを守りなさい。」(マタイ19:16)
永遠のいのちは人の行いによる「良いこと」にあるのではなく、天から来られた「良い方」にあるのである。完全によってたまわるいのちは、唯一完全なお方の中に在って、完全に戒めを守ってくださった方からたまわるもの。
イエスは彼に言われた。「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」(マタイ19:21)
戒めはすべて守っているという金持ちの青年に、主が求められたのは施しという行いではなく、世のものは世に置いてわたしについて来なさいと言うことである。
彼が今日まで頼りにしてきた良い行いや財産や地位を置いて、世に彼の頼るべきものが何も無くなった時、イエスさまだけがすべてであり、それはイエスさまのものをすべてたまわることでもあって、それこそが永遠のいのちである。
弟子たちは親も仕事もすべてを置いて、イエスさまを選び取ってついて来た者である。
「あなたがたこそ、わたしのさまざまの試練の時にも、わたしについて来てくれた人たちです。」(ルカ22:28)
イエスさまが弟子に求めておられることは、「わたしについて来てくれた」ということである。共に居ることこそ、弟子にとっての唯一永遠に至る主の評価。
そこで、イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。世が改まって人の子がその栄光の座に着く時、わたしに従って来たあなたがたも十二の座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくのです。
また、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、あるいは畑を捨てた者はすべて、その幾倍もを受け、また永遠のいのちを受け継ぎます。(マタイ19:28~29)
この世に財産を持っているということは物が豊かにあるというだけでなく、人の評価や尊敬さえも付いて来る。弟子たちはそれらのすべての望みを捨てて、イエスさまと一緒にいることを選んだのである。