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「自分自身とすべての人間に対する信頼を投げ捨ててしまえば、地上で得られるがぎりの最大の魂の幸福を持つことが出来る。」(ジャンヌ・マリー)
「人間の信頼なしに済ませるには神の正義に対する揺るがぬ信頼が必要である。」(ヒルティ)
我が家の卑近な問題のひとつひとつをみことばに賭けて、私は多くの主のわざ、みことばの約束のご真実なことを教わってきた。大した信仰もないのに、そこに留まることができるのは聖霊による平安。もちろんそれでも状況は迫ってきて心を騒がせる。でも、聖書には「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」(ヨハネ14:1)と書いてあると、恐れる私に言うと不思議に心の中の恐れは去った。
そんな信仰の経験が積み重なって、みことばが生きた神のことばであることを、家族ぐるみで経験することが出来る。主がご自身をあかししてくださる。人には信仰を育てることはできないけれど神様には出来る。先に救われた者は、主が折々に与えてくださる問題をみことばによって選び取りそこに留まる。ご真実な主はご自身のわざを見せてくださるから。
子供にみことばを諳んじさせてもなんの意味もない。イエス様は子供を抱かれたけれど子供には教えられなかった。親が人を頼りとはせず本当に頼るべきお方により頼み、事々を祈りとみことばの中で解決する家庭で成長するなら、子供は常に身近に生きた信仰に接して、みことばのご真実を知ることができる。
親が感謝に溢れて喜んでいる姿をみる時、子供も自然にイエス様が大好きになってゆく。親が信頼する方を子供は自然に信頼し、親と共に祈りその祈りに応えてくださる神様を経験して畏怖の念も育ってゆくだろうと思う。
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒16:31)
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