二日がかりの「あなたがたは聖なる者でなければならない⑤」をアップ直前に失ったと思った。「石ころ」からコピーした④をよく見ないままに、⑤の原稿に上書きして終了していた。題名が同じことは怖いと思っていたのに・・。
原因はアップ直前に席を立ったこと。台所でちょっとのつもりで夕食の準備などを始めたが、席に戻った時にディスプレー画面が省エネモードで消えていたことで、アップが終了していると勘違いしてしまったのだ。
主がご存じないことは起こらないと、それがみこころならお守りであろうと、もう一度書くためのお導きを祈った。誤りのない言葉を導いてくださいと・・。
直ぐにもやりなおそうと思っていたが、いや、明日の元気を頂いて祈りつつ、ゆっくりやりなおそうと腹を決めた。
ちょっと気落ちして夕食を取り、短歌でも・・とブログの新規投稿を開くと、なんと記事が自動保存されていた。そう「投稿する」をクリックしていなかっただけのことであった。本当に嬉しかった。自分の迂闊さは脇に置いて喜んだ。
しかし思うことは、此処までやって途中で席を立つかなぁ・・ということ。最近自分の中に信じられないものの存在を見ることがある。まあ、その度に、何が起ころうともイエスさまという戻るべき場所があり、それゆえの平安があることを経験するのであるが・・。
自分が不確かになったときの避け所は、イエスさまに助けを求める祈りの砦、駆け込むと主は即座に願いを聞いてくださる。主がどんなにご真実かは、多くの失敗を覆っていただいた経験から知っている。
すべてを失ったとしても「イエスがいるから大丈夫」な日々であり、ドキドキしながらも、信仰生活の佳境に入って行く老いと思うなら、ちょっとした興味と期待もある。
あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す。(イザヤ46:4)