逢魔が刻と言う・・昼と夜がすれ違ったこの時刻。
「宵」という言葉が天気予報から消えた。「夜の初め」といっている。宵という言葉が通じなくなってきたからだという・・本当かな?宵待草はどうするの?そんなことを考えながら歩いた。行きはまだ、薄明かりもあって豊満な紫陽花の花も見えたから。
目の前に黒々と立ちふさがる桜並木にちょっと緊張する。行きは見えた道も帰りにはほとんど見えなくなっている。むっとするような草いきれはまだ残っているけれど、昼のそれとは大違いで、フィトンチットは変わらないのかも知れないけれど、昼の心地よさとは別物。厚く茂った並木から感じるものは闇の圧迫。
同じ桜並木でも、昼とはまったく違う顔を持っているんだ。そう、それが山の自然の恐ろしさ。暮れるにしたがって家々の窓から明かりが見え、夏のことで家の中の営みが垣間見えて人恋しい。気だるい夏の宵を味わうにはちょっと遅かったなぁ。もう少し早く家を出ていたら気を許して歩けたのに・・。
主人の言葉を思い出す。「夜はあの道は歩くな。ハビ(まむし)が出るから。」と言っていた。御使いの手を探る、手をつないでもらおうと・・なんか恐いことがあると御使いを探す癖がある。私は強がっているけれど本当はかなり恐がり。
でも、本当に御使いに守られたことがあったもの。電車の中で異様な人に寄られて、すごく恐くて逃げることも出来なかったとき、御使いが目の前に盾のように大きく立ちはだかっているのを感じてホッとしたことがあった。でも、こんな話をすると息子が嫌な顔をする。アハハ・・・。
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