まことに、まことに、あなたがたに告げます。羊の囲いに門から入らないで、ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗です。
わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。(ヨハネ10:1.9)
イエスさまの十字架のあがないをいただいて、御父と御子の交わりの中に入れられると、みことばに安息して、霊は豊かな養いを受け世に出て行く。
キリスト者はそこでも養いを得て成長することができる。日々の暮らしの中の証しは、世の知らない平安の現れによることである。主と一つにされて所有している平安である。
わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。
それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同様です。また、わたしは羊のためにわたしのいのちを捨てます。(ヨハネ10:14~15)
御父が御子を知っておられ、御子が御父を知っておられるのと同じように、キリスト者もイエスさまを知っているとある!
それは事実となっているのだろうか・・、未だ、主を知る事ができる存在に留まっているように思えるけれど・・。
わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。(ヨハネ10:28)
アダムが失った永遠のいのちを取り戻して、創造の始めの神のご計画が完成して行く・・。
人類は造り主への謀反の長い旅を経て、十字架の門を通り御父と御子とのお交わりに取り戻された時、自発的な信仰告白をもって神への喜びと賛美は溢れるのだ。
そのゴールは携挙を経験して、永遠に生きる新天新地とある。これは神秘なこと故に、幼子の信仰によって心躍ることである。
「わたしの父がわたしに与えてくださった者は、すべてに勝って大切です。
だれもわたしの父の御手から彼らを奪い去ることはできません。
わたしと父とは一つです。」(ヨハネ10:29~30)新改訳2017
キリスト者は、ひとり一人が「神の大切」であることを知っているのだろうか、神のご愛を絶えずいのちの中で見ているのだろうか。
主はご自身の真実さによって、今も、あらゆる方法でご自身を知らせてくださっているのだ。
たとえわたしが信じられなくても、わたしのわざを信じなさい。
それは、父がわたしにおられ、わたしも父にいることを、あなたがたが知り、また、深く理解するようになるためです。」(ヨハネ10:38)新改訳2017
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