昨日はバイクで買い物に行った。そう!あのコトンとも言わなかったバイクが、少しガタガタしているとあっさりエンジンが掛かった。
実は、バイクが動かないのなら、免許の更新どうしよかな~と思っていたとき、「タクシーででも、ちょっと行って来たらええのに」との友人の軽い一言に、警察署へ行こうと背中を押されたのだった。
コミュニティバスの時間も教えてくださったので、翌日バス停で待っていると、顔見知りの方が車を止めてくださり、警察署まで送ってくださった。
帰りは、近くにコミュニティバスが止まっていて、あっという間にすべてが終わったのだ。
この流れならと、翌日バイクのエンジンを掛けてみたのだった。
1~2ヶ月乗っていなかったけれど何と言う事もなかった。風が強くてピリッとした緊張感は久しぶりだった。
臆病風に吹かれて後退するとその分の自由を失う。一歩踏み出すとそれだけの自由が守れる。確かにこれは戦い・・、そんな事を考えつつ走った。そうでなくても歳を取るとどんどん自由を失って、その部分から死んで行く。
自由は向かい風の中にあって、時に「わがまま」のようで、「協調性がない」ようで、「迷惑」ともなり得るが・・。それでも生きているのなら、死んだようにではなく、本当に生きるのでなければ命の意味がない。
ただ、イエスさまの時に適った助けと、人の助けの中で生かされて居る事実を、歳を取る毎に深い感謝として覚えることとなる。
自由の相棒ボロバイクは、嬉しそうに国道をスイスイと走ってくれた。「ええ、子や!もう少し一緒に生きてくれ!」
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