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今回の大震災で、このようなときにも日本人の行動が冷静で礼儀正しいことが、世界で評価されていると繰り返し報道されている。
それは、当然同じ日本人として嬉しいことと喜んで居たが、むしろ日本人には震災時などに、即略奪などという行動が現れることに逆に驚くわけで・・。そこまでストレートに行動出来るという箍の無さが理解出来ない。
日本は互いに気兼ねをして顔色を見て暮らす社会であり、まして都会ではない地方においてはそうである。それは自制心を養い、美徳であるけれど、善悪の基準が互いの中にあって、取り繕う内に自分自身の本性を見失い、良心の痛みに鈍感になるのではないかと思う。
パリサイ人や律法学者たちは極度に良心に鈍感であり、罪に対して鈍感であった。彼らは彼らの社会で互いの評価によって満足し、それを保つことによって高い自己評価をしてそこに安住していた。
人が、取り繕いや気兼ねによって、その心の奥深くに罪の本性をしまい込めばしまい込むほど、良心は鈍くなり罪により痛むことも傷つくこともなく、罪からの救いに渇くことがなくなると思う。
パリサイ人たちが罪人と呼んでいた人々は、日々否応なしに自己の罪の性質と向き合わざるをえず、それだけむき出しにされた良心は激しく痛んでいたのだと思う。
だから、彼らは救いを求めて飢え渇き、救い主イエスのまわりに集まって来た。
「イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われた。『医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。』」(マルコ2:17)
「義人はいない。ひとりもいない。」(ローマ3:10)
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