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何気なく手に取った主人の聖書。挟まれていた週報の日付に胸がいっぱいになった。
教会に通った幸せな日々がどっと押し寄せてきたから・・、駐車場の砂利道で私の鞄まで持ってくれた。私も甘えて手ぶらでゆっくりと後から歩いた。
私の人生最良の日々・・たいしたことを話すのでもなく横断歩道もてんでに渡っていたけれど・・。
道路脇に植えられていた深紅のバラを一緒に褒めて、梅の香りを一緒に楽しんで、脇の畑の野菜を見ては、勝ったとか負けたとか一喜一憂している主人が可笑しかった。一本の傘に入って、肩が濡れる主人を追いながら狭いあぜ道を歩いた。
礼拝中に主人は涙が止まらなくなって照れくさそうに・・困ったように、車に駆け込んで拭っていたことがあった。
「なんで・・こんなことは初めてや・・」聖霊による赦しのしるしを見せて下さったことに、私はそっと感動していた。
昔家庭集会を続けていた。集まって下さった方々と牧師先生のメッセージを聞きながら、私は主に何時も訴えていた。「本当は主人と聞きたいのです」と・・、でも、私は主人に伝道はできなかった。
読み物を勧めることも、テープを聞かせることも、もちろん私がイエス様を語ることもなかった。
私が洗礼を受けるときに、「俺を折伏(しゃくふく)しようと思うな」と言われていたから・・、そう言われなくても、私が人を説き伏せることなどできないことは分かって居た。
それでも望みは持ち続けていた。祈りで十分だという信仰もあったし、「主イエスを信じなさいそうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と聖書に書いてある。
「誕生日に何も要りませんから、主人が教会に来てくれますように」と祈った2001年12月、主人が突然ひとりで教会に入って来た時から、時々通うようになりいつの間にか一緒に祈るようになっていた。
種が芽を出し成長するように、主は信仰を育ててくださり今、天に迎え入れてくださった。
すべてはご真実な主のみわざ。感謝のしるしの聖書がずしりと手に残った。
もし、まだ見ていないものを望んでいるなら、私たちは忍耐をもって熱心に待ちます。(ローマ8:25)