群衆の中のひとりが、「先生。私と遺産を分けるように私の兄弟に話してください。」と言った。
すると彼に言われた。「いったいだれが、わたしをあなたがたの裁判官や調停者に任命したのですか。」
そして人々に言われた。「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」(ルカ12:13~15)
イエスさまに訴えた彼は、かわいそうに不平等な扱いを受けていた。しかし、イエスさまのお言葉は「どん欲に注意しなさい。」だった。
そう、彼は自分のものを、自分のものに出来なかったわけではない。親のものをもらえなかっただけである。
親のものも自分のものと考えるのはどん欲。それを兄弟がどのようにわけようと、自分のものでないなら関係もないことである。
たとえ世の法律でどのように決められていようと、この世の法律にイエスさまを持ち出すことはナンセンスである。
イエスさまはお弟子に向かって話された。そう、みことばこそは私たちキリスト者の法である。
「だから、わたしはあなたがたに言います。いのちのことで何を食べようかと心配したり、からだのことで何を着ようかと心配したりするのはやめなさい。
いのちは食べ物よりたいせつであり、からだは着物よりたいせつだからです。」(ルカ12:22~23)
「あなたがたの宝のあるところに、あなたがたの心もあるからです。」(ルカ12:34)
しかし、私たちは故もなく御父の莫大な宝、御国を受け継いでいでいる。
御子イエスさまの十字架の釘によって、御父の手のひらに、私たち一人ひとりのいのちを刻んでくださっている。
決して消すことの出来ないように、血を流して刻み込んでくださった。
父なる神様は言われる。「見よ。」と・・。
この神の御手を「見ていよ」といわれる。この祝福を!
「見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。」(イザヤ49:16a)
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