ターサイのヘタを再生していた。小さな器に入れて朝も夜も見つめていた。
日々葉を広げてゆき、豆粒のようだった花芽がはっきり現れ出てきて、朝ごとに「昨日よりも伸びている!」と楽しませてくれた。
ある時から、花芽がどんどん伸び出して小さな黄色い花が咲いた。それはとても私を喜ばせてくれた。でも、ある日、花を付けていた茎はくったりと二つ折れになっていた。
切り取って葉っぱと一緒に調理した。料理には黄色い花がぽっちりと存在をアピールしていた。それを口に運んだ時、私の一部となった。
私はターサイに水を与えただけで、ただ、成長を楽しんでいたけれど・・。
神さまは愛するひとり子の命をもって罪人を買い取られ、私をも「わたしの目には、あなたは高価で尊い。」といわれた。それは尊い代価が支払われた存在ゆえに。
人とは皆、造り主なる神さまから「わたしはあなたを愛している」と呼びかけられている命。
誰も気付かないほどの成長をも、御子をたまわるほどに愛する方は愛おしみ、期待して見つめていてくださる。
太陽の光を与え、空気を備え、天からの水を与えて食べ物を備え、季節ごとに花鳥風月を準備して遊ばせ、心楽しくあるようにと守っていてくださる。
そのような日々に老人だって成長する。天からの眼差しが若い頃よりも良く分かるのは、静かな時間を持っており、死を近しく感じる老いた体ゆえである。
それゆえ御国に向けてラストスパートするのだ。老いは若い頃より世には身軽だから・・。
ある日くたっと二つ折れになるまで、背伸びして成長をアピールするのは、命をたまわったキリストをお喜ばせしたいから・・。