さて、イエスは過越の祭りの六日前にベタニアに来られた。そこには、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロがいた。
人々はイエスのために、そこに夕食を用意した。マルタは給仕し、ラザロは、イエスとともに食卓に着いていた人たちの中にいた。(1~2)
よみがえりという大きな祝福を受けたラザロは、人々の中にごく普通のありふれた様子で混じっていた。キリストの証人の荷は軽く負いやすい。彼はイエスの友として今まで通りの平安に居た。
イエス・キリストを信じて罪の赦しをたまわった時、その喜びと感謝のゆえに「さあ、何をするべきか」と落ち着かなくなる。それまでは頂き物をして受けたままに喜んで居ると非難され、必ずお返しすることを求められて来たから、何かをしなければならないと思うのである。
「イエスさまの十字架のお苦しみを私はまったく知りません。」と祈ったとき、即座に「知らなくても良い」という叱責の言葉を感じた。主はそのようなことを願っておられず、それは分を越えたことであると知った。
確かにラザロが何をお返しすことが出来るであろう。命をたまわったとき何をもって「お返しはした」と言えるであろう。だからラザロはそのまま人々の中に居たのだ。
キリストの命を頂いた者は、ただ、主への深い感謝と信頼の中に留まり、その喜びの中でみことばに聞き入って生きる。神の愛の中に浸されていると、呼ばれれば何を放り出しても駆けて行き・・そう、携挙に。待てと言われれば何時までも待つ。愛する方に従うことが嬉しいからである。
一方マリアは、純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ取って、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。
弟子の一人で、イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダが言った。
「どうして、この香油を三百デナリで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」(3~5)
マリアの心づくしの捧げもの部屋に満ちる聖なる香りも、イエスに跪いて御足を拭うマリアからあふれ出る深い感謝も、ユダにはまったく伝わらなかった。彼の関心はイエスにはなく金の行方だったからである。
彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼が盗人で、金入れを預かりながら、そこに入っているものを盗んでいたからであった。
イエスは言われた。「そのままさせておきなさい。マリアは、わたしの葬りの日のために、それを取っておいたのです。(6~7)
ユダの言葉は、天地創造の神、我らの造り主の愛を無視した所にある人の言葉。その言葉は欲を取り繕う偽善であり、イエスに捧げられた金額を惜しむのは、イエスの御わざにある命の価値を知らないからである。
イエスが支払われる命の価値も、ラザロがたまわった命の価値も、自分の命の価値も知らない。
イエスが財布をユダに任された時、それはユダをご存じの主が彼に任されたのである。主の財布の金を自分の財布に入れ替える必要は無いのだ。
主はユダの必要を溢れるばかりに満たすお方である。しかし彼はイエスの愛を真正面から受け取らず、盗むことを選んで滅びる。
此処でアナニヤとサッピラの夫婦を思い出す。人々が教会に真実な捧げものをしている姿を見て、彼らも自分の地所を売って捧げたが、彼らは嘘を混ぜ込んで教会を欺きそれまで捧げられていた純粋な捧げものを汚した。
彼らは自分に与えられている財産を偽善によって不自由なものとして、生まれたばかりの聖なる教会にサタンの罠を持ち込んだ。彼らによって、教会に神の意図とは離れた不自由が残ってしまっている。
「売らないでおけば、あなたのものであり、売った後でも、あなたの自由になったではないか。どうして、このようなことを企んだのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」(使徒5:4)
偽善が起こるのは神の愛を知らないからである。造り主なる神を知らず、知ろうともしないことこそ人の最大の罪であって、その人は世のものを得るためには救い主を売ることが出来る。命をたまわるほどのキリストの愛を知らないからである。
マリヤは自分の財産である香油を感謝にあふれてイエスに注いだ。彼女は弟にたまわった命の感謝にあふれて命の主に捧げたのである。
彼女は、イエス・キリストの十字架への捧げものをした唯一の人である。
「貧しい人々は、いつもあなたがたと一緒にいますが、わたしはいつも一緒にいるわけではありません。」(8)
イエスを何時もいつでも近しく覚えることが出来るのは、見える方としてではなく霊のうちに住んでいてくださる幸いである。聖書を開けば何時でもみことばを味わえる幸い。今読む力が守られ、聖書を持つ自由がある幸いを思う。
貧しい人々という言葉に、必ず滅びるべき命の貧しさが迫る。それゆえ、滅びることの無いキリストの豊かないのちを分けたいのである。タダでたまわったこの高価ないのちの恵みを言いふらしたいのである。
それは、神のキリストが十字架で御体を裂いてたまわった永遠のいのちである。