まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしを信じる者は、わたしが行うわざを行い、さらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです。(12)
計画を完了して父の右の座に帰られたイエス・キリストを信じる者は、イエスのように神から出たわざを成すようになる。
神であるイエスが人となって肉の体を纏って来てくださった。私たちと同じように世で生きても罪を犯されることはないが、限りある体の不自由と弱さを経験してくださった。
体の恐れは死である。キリストから永遠のいのちたまわった者は、生きるための遣り繰りから解かれており、イエスの備えてくださった永遠のいのちに安息している。
またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは、何でもそれをしてあげます。父が子によって栄光をお受けになるためです。
あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしがそれをしてあげます。(13~14)
キリスト者の願い事は、イエスの十字架の御わざがほめたたえられ、神が栄光が世に現わされることである。
すべての願い事は神から出て、神のわざが行われるための願いであり、世に生きて働くみことばの力に拠って、天地創造の神の御国に帰ることを切に求めるためのものである。
もしわたしを愛しているなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。
そしてわたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。(15~16)
イエスが父なる神に願ってくださったのは、キリスト者が聖霊なる神の助けを受けることであった。主は人の愚かさや体の弱さをご存じゆえに、必要を御父に願ってくださったのである。
聖霊が人の体や魂が持つ諸々の弱さや罪を知られる時、みことばを解き明かして、主に信頼してきよく生きる力を与え、祈りによる交わりの中でイエスの平安を満たしてくださる。
神の愛と忍耐によって私たちの霊のうちに住み、イエスに望みを置く者に父なる神のみこころを教え導く神である。これ以上の奇跡が他にあろうか。
神が人の内に住んでおられるのだ。キリスト者はこの奇跡に拠って生きている。
そう、聖霊は片時も離れることなく側に居てすべてのことをご存じであり、刹那的な世で永遠のいのちの喜びを守り、神の御真実を教えて勇気を与え、弱い者にみこころを行う力を満たしてくださる。主を求める者に・・。
この方は真理の御霊です。世はこの方を見ることも知ることもないので、受け入れることができません。あなたがたは、この方を知っています。この方はあなたがたとともにおられ、また、あなたがたのうちにおられるようになるのです。(17)