石ころ

2020.4.10 携挙への備え

 

 今は世界中で自由な動きが失われているが、そのことに神様の備えを強く感じる。人は漫然と同じことを繰り返すことが出来る間は、時が持ち去られていることに気づかないからである。この不自由は神様がブレーキをかけてくださったのだと・・。

 

今、ひとりで主に聴くために静まり、進んでキリストを選び取るようにと、キリスト者の日常に介入しておられるのだ。
人のほめ言葉や人の何かには拠らず、誰にも評価されることなく、ただ主に聴くための時間を持つ導きである。

 

人との交わりに戸を閉めて、ひとり奥の間に入り、キリストだけにより頼んで静まることは、主にだけ捧げる時間であり、その時は三位一体の神が、一人ひとりに出会ってくださる交わりの時間である。

 

賛美し、みことばを開き、祈る時、聖霊は一人ひとりの、今日の必要を満たすために導き、養ってくださることを発見するのである。
誰であっても、終わりの時には主のほかには頼るものは無い。携挙には一人は上げられ、一人は残されるとある。

 

その時に、もたれ合う信仰に終始していることは危険と分かる。すべてに置いて、主にのみより頼む時であり、今はその訓練のために備えられた、とても重要な時間だと思う。

 

そのとき、畑にふたりいると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。
ふたりの女が臼をひいていると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。(マタイ24:40~41)


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