土曜日の夜に電話があり、日曜日も主人が仕事に引っ張り出された。土曜と日曜は休みだと思っていたのでちょっとあわてた。なにしろ、朝は4時45分には絶対に起きて準備をしなければ間に合わない。山仕事は真冬ならまだ真っ暗な内から電池を持って登る。
とまどいのなかで、いろいろと考えて日曜日の礼拝を休もうと連絡をする。無理をすれば行けるけれど無理はしたくない。主人が家を出て行った後、少しでも寝ようとしたけれど結局眠れなかった。昨夜はあまり眠れなかったのに・・。私は主人の山仕事の時にはどうしても朝のことを考えてしまって熟睡できない。
午前中に息子と共に静まって、彼の通読箇所使徒27章を交互に読み祈る。
パウロに良くしてくれたユリアスも、航海の危険を知らせるパウロの言葉には耳を貸さず、世の権威による航海士や船長の言葉を信用した。人間的な親切と信仰は別もの。そして、目の前の穏やかな南風と共に船出する人々といっしょに出て行く。
パウロの預言通り船は嵐に遭い、人々の生きる望みも絶たれようと言う時、パウロは立ち上がって「誰も死ぬことはない。神様があなた方の命を私に与えられたから」すごいことを伝えている。神様から聞いたことばをそのまま人々に伝えることにおそれを覚えて、少し変えてしまうことがあるけれど、そんなときは必ず後で平安を失ってしまう・・・。
福音を伝えるべきクリスチャンは、神様から身近な人々のいのちを任されているということかな。会社では取るに足りない者であったとしても、クリスチャンが置かれているということは、とても深い意味のあることだから、「そこに居て祈ってね」と息子に話した。それが私たちの初めの仕事だと思うから。
嵐に遭ってはじめて、ユリアス達もパウロの言葉に従うようになった。神様の証は神様がしてくださる。無視されたからと言って気落ちすることはないし怒ることもない。神様の警告を無視する人々と同じ船に居ることも恐れなくてもよい。信仰のない人々の運命に否応なく巻き込まれるように見えるけれど、そこで神様のご計画が進むのだから、黙って信じて時を待てば良い。
パウロは時を得て人々を導き、感謝の祈りをして食事を食べさせ生きのびる力をつけさせた。パウロはリーダーとして働くけれど、その時のパウロの立場は殺されかける囚人であった。主のみこころを行うときには自分の立場を心配する必要はないということかな・・神様の権威によって導かれて行い、語るべき事を語るということ。
昼食を取った後、息子は手を挙げて元気に戻って行った。後片づけが済んだところで私は暑さと寝不足でぐったり・・・、今日は格別に暑い!この部屋の気温は今、33度。ちょっとでも寝ようとしたけれどお昼寝が下手で眠れない、時計ばかり見ている。やはり教会での礼拝を思ってしまう。2時だ。教会の様子を思い浮かべながら聖書を開いてひとりで読む。ひとりで祈る。やはりメッセージが聞きたいなぁ・・・。
「昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って、こう言いました。『恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。』ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。」使徒27:23~25
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