盗んではならない。欺いてはならない。互いに偽ってはならない。
あなたがたは、わたしの名によって偽って誓ってはならない。そのようにして、あなたの神の名を汚してはならない。わたしは主である。(11~12)
神の民が盗んだり、欺いたり、偽ることは御名を汚すことであり、それは主を恐れることを知らない者のすることである。神の民が良いことを行えば神の栄光となり、悪いことを行えばそれも神の名によって行っていることであり御名を汚す。
キリスト者は主の豊かな恵みによって盗む必要はなく、嘘を言って身を守る必要もなく、騙しごとを言う必要もない。主は信頼する者にすべての必要を、時を備えて満たしてくださる。神は愛であり、力があり、ご真実なお方だからである。
しかし、舌を制することができる人は、だれもいません。舌は休むことのない悪であり、死の毒で満ちています。
泉が、甘い水と苦い水を同じ穴から湧き出させるでしょうか。(ヤコブ3:8.11)
嘘つきのサタンが支配する世は偽りに満ちていて、賢い者から愚か者まで、息をするように偽りの言葉によって遣り繰りをしている。
それゆえに神は、キリストのうちに避け所を備えてくださった。真実なみことばと、世の遣り繰りの言葉が同じ口から出てくることが無いように、主が備えてくださったのである。
主はわが巌 わが砦 わが救い主 身を避けるわが岩 わが神。
わが盾 わが救いの角 わがやぐら。(詩篇18:2)
不正な裁判をしてはならない。弱い者をひいきしたり強い者にへつらったりしてはならない。あなたの同胞を正しくさばかなければならない。(15)
裁きにおいて弱い者に肩入れすることは、強い者にへつらうのと同じ不正とある。弱さが赦しの条件とはならず、まして神の義に在っては誰でも罪の報酬は死である。
少数派というだけで保護が当然であるわけではなく、すべてみことばに照らして裁かれるのは、完全に正しい方は創造主だからである。
罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。(ローマ6:23)
それゆえに神は、御子イエスを十字架に掛けて、すべての人類の罪を正しく裁かれたのである。
罪の報酬である死を、罪も汚れも無いイエス・キリストが人となって、人類の過去、現在、未来のすべての罪を負って裁かれた。此処に罪びとの受ける死という代価はキリストによって完全に支払われている。
この歴史的な事実を信じてキリストを私の救い主と告白する時、神はその人を無罪と言われ「アバ父」と呼ばせて、神の子としてくださるのである。
罪の報酬の死はゲヘナの滅びである。しかし、キリストは永遠のいのちを備えてくださったのである。
キリストは死を通って天に昇られた時、聖霊なる神の助け主が来てくださり、みことばを解き明かして教え、うなじの強い強情で愚かな者の信仰をも守り導いてくださる。
救いには、神の愛するひとり子の高価な犠牲が支払われた。救われた者はどれほど神に愛されているか、何時も覚えていなければならない。
わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だから、わたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにする。(イザヤ43:4)