前章ではブダペストを代表する教会、マーチャーシュ聖堂と聖イシュトヴァン大聖堂を、
更にはその前には聖フランシスコ教会をスケッチしてきたが、ブダペストで忘れては
ならない、最も歴史のある司教区教会(聖母マリア教会)を描いておかなければと思った。
教会前の広場は3月15日広場と呼ばれ、ブダペストで革命(1848、1956年)が
蜂起される時の始まりの場がこの広場である。
何故、王宮広場や聖イシュトヴァン大聖堂広場ではないのか?
それは国政と都政の違いなんだろう。 財力の違いで両者に比べ見劣りはするが、
ブダペスト市民のこの教会への思い入れは格別なんだと思う。
エリザベート橋の袂に佇む教会 Mar. 03 2019
次の地図は、今のくさり橋などの橋がなかった13~15世紀のペシュト市街地図
であり、街の成り立ちと繁栄を聖母マリア教会は市内の真ん中で見続けて来たの
である。
教会の起源は、5世紀にローマ帝国が「コントラ・アクインクム」という要塞を
造った時に、既に聖母マリア教会の源である礼拝堂が存在していた。
建国後の11世紀にはイシュトヴァン1世によって教会に建て替えられた。
そしてジグモンド王~マーチャーシュ王のハンガリー全盛期時代(13世紀)に
今のゴシック様式三層内陣タイプに拡張された。
現在の姿は、1686年に Szécheny Győrgy 大司教が廃墟と化した教会を再建した
もので、1947年と2016年に二度改修された。
Jan. 19 2008 Mar. 03 2019
オスマン帝国によって支配されていた時代(14世紀半ばから200年間)は
ほとんどの教会はモスク化されたが、唯一、聖母マリア教会だけはローマ・
カトリック教会として残されていた。
オスマン帝国の撤退時に、多くの宝物は持ち去られたが、幸い建物は破壊を
免れ、暫く廃墟となっていた。
よって、教会は内部よりは建物の外観構造に興味が持たれる訳である。
● 教会のファサード
バロック様式 (以下の画像は、すべて Jan. 19 2008に撮影したもの)
● 教会の西側面
● 東側面と南門跡
● 教会背部(祭壇側)とその下にある像
<教会内部>
主祭壇と入口側(オルガン2階席)
祭壇は1947年、 説教台は1808年、 両サイドの聖母マリア像と
聖ヨージェフ像は共に1900年製でさほど古くない。
祭壇の天井は、ゴシック様式の典型リブ・ボールド (Rib vault) 工法を使っている
が色彩が鮮やか過ぎて実際的じゃないような。
これにて「ブダペストをスケッチ(4)司教区(聖母マリア)教会」はお終いです。
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