今回はハンガリーの隣国スロバキアにあるハンガリーの教会(であった)を訪ねたいと思います。
ハンガリーの国道3号線でスロバキア国境を越え、20kmも入った所に Kassa (カッシャ)、
スロバキア名でコシツェという大きな町がある。 最初の目的地である。 ここも第1次世界大戦前
まではハンガリーの領土であった。
当時(1910年)は、人口44,000人(うち、85%がハンガリー人)であったが、スロバキアに移行後
の2003年には、235,000人に膨れ上がり、今ではスロバキア第2の都市になった。
但し、ハンガリー人は全体の3%(8,000人)と年々減少傾向にある。
中央通り 国立劇場
市庁舎 中央公園内の彫像とアンドラーシ・パレス
<百七十七番札所; Kassa Szent Erzsébet-dóm (カッシャ聖エリザベス大聖堂>
聖堂の場所には、1250年頃よりゴシック様式の教会が建っていたが、1373年の火災
によって焼失してしまった。 後に、1期、2期、3期と少しづつ建設していき、最終的には
1520年に完成した(バロック様式であった)
しかし、再び1556年に火災で多くが破損してしまった。 その後、修理、改修を重ね、
今日見られる聖堂は、Steindl Imre の設計で1894年に改修されたものである。
北側からの大聖堂 東側からの大聖堂(左が聖ミハイル礼拝堂)
北塔は1775年の建立
主祭壇は1474~1477年のバロック様式。
大聖堂(南側から)の手前が、聖ミハイル礼拝堂; 正面入口に、ビクトリーアーチと屋根の
上に小さな塔を載せている。 屋根はジョルナイ瓦であろう。
礼拝堂は1350年代の建立。 天井はチュウチベシ(対角線リブ)という典型的な
ゴシック建築様式。
大聖堂の北隣りはOrbán-torony (オルバーン塔); 大聖堂には、当初、塔がなかった為、
聖オルバーンがここに塔を寄進した。
最初の鐘は、1557年に、重さ72kg、外径2m、高さ168cmの鐘を鋳造したが
1966年の火災で塔から鐘は落下し、割れてしまった。
これで、「Kassa (カッシャ)の教会」は、お終いです。
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