埼玉県北本市に学校給食歴史館というものが2010年にできたそうである。
日本の学校給食は明治22年にはじまったそうである。私の学校給食は国民
学校1年生に始まった。戦局もあやしくなってきて食糧も配給制度が始まったころでは
ないだろうか。それでもその頃通っていた都心の学校では白いご飯に(時々は配給米にもあった
大豆入りのこともあったが)煮豆のようなおかずが一口ついていたと思う。たまには白い食パン1
枚にジャムかなにかついていたこともあった。
一学期を終えると3年以上は学童疎開に参加しないといけなくなり、父は学童疎開
に危惧を感じたらしく、3年生だった姉に私をつけて仙台にいた母方の親戚を頼った。
2学期から当地の学校へ通わされたがそこで出会ったのが仙台味噌の入った雑炊である。
親戚に預けられたさびしさ、心細さもあったのだろうが子供心に東京では白いご飯を食べていた、
どうして地方に来て毎日雑炊なのか納得できなかった。しかし食べなくてはならない。週に
一度くらいだろうがパンが出た。師団が近くて始終馬の往来を見ていたからその落とし物には
なじみがある。子供たちはその黒くて丸いパンを馬糞パンとなずけた。
終戦後、5年生の時東京に戻った。そして供されていた給食は食事ではなく味も思い出せない
くらいまずい脱脂粉乳をといてダマがボコボコしているミルクとトマトジュースだった。ミルクは
配られるのだけれどお弁当が終わるとソロソロとコップを持って水飲み場に流しに行った。
先生に叱られた記憶がないから先生も見て見ぬふりだったのだろうか。男子の中には
面白がって学校の近くを流れていた小川に流したりしていた。
学校給食、記事には懐かしくて食べたい、とあったけれど・・・
私は今でもオジヤ、お粥は食べられない。立つくらいかたいご飯が好きである。 中国へ
旅した時は毎朝お粥をいただくが、あれはスープで炊いてトッピングもおいしいからである。
トマトジュースも大人になってKAGOMEのおいしさを知っていまでは積極的に飲んでいる。