はやてに乗って一関へ 今日の予定は厳美渓―平泉―花巻温泉泊りである。個人旅行だから
タクシーで巡るしかない、と思っていたら駅前にちゃんとコース、時間、料金が大きく掲示されて
いたので3時間コースを利用することにした。まず厳美渓へ。
本来の水はもっと青いそうである。上流で雨が降ったのかも、とは
運転手さんの話。
ここの名物はカッコウ団子 創業のころ客寄せにカッコウの鳴き声をまねて以来
カッコウ団子とよぶそうな。下で400円入れて板をたたくと上の店でロープを手繰り
寄せてお茶と団子(ミタラシ ゴマ アンの3本) を入れて滑車で降りてくる。
毛越寺の庭 建物のあったころの土台に使われた石垣がまだ残っている。
左手の土嚢を積んだあたり、何れ再建するための調査が行われている。
中尊寺では世界遺産登録記念 東日本復興祈願ということで秘仏一字金輪仏の
御開帳が行われていた。仏像のことはわからないけれどよい機会にめぐりあえた、と
思った。うん十年前修学旅行で拝観した金色堂はもっとくすんでいたような記憶だが
今は厚いガラス(と思う)のケースに覆われてまさに金色に輝いていた。運転手さんの
話によると世界遺産登録前は人の姿を見ることはまれであったそうである。
五月雨を 降のこしてや 光堂
弁慶の墓 古くて真実もわからないそうで松の向こうの別の碑が建てられている。
平泉駅へ向かう途中、無量光院跡の発掘がおこなわれていた。平等院に似た
建物があってそれは夏至や冬至には山から建物をまっすぐの太陽光線が
通るそうである。-運転手さんの話がうろ覚えで恥ずかしいー
翌日は花巻駅から東北本線で盛岡へ、乗り換えに1時間あったので駅の外へ出てみる。
まさに啄木、啄木である。
秋田新幹線 こまちで 秋田経由 羽越本線いなほで酒田へ
途中から鳥海山が見えはじめた。初めてみるので車窓にへばりつくようにして
シャッターを押した。でも酒田に着いたらゆっくり見えたのでなにもあわてることは
なかった。
松尾芭蕉も詠んだ最上川 モミジのころには舟下りで賑わうことだろう。
五月雨を 集めて早し 最上川
酒田の繁栄の礎を築いた本田家の倉庫と並木。吉永小百合さんがここに立っている
ポスターがある。CMにもつかわれたのかしら?
映画 おくりびと の葬儀屋のロケに使われた建物。今は何も使われて
いないが建てられてからは料亭だったそうである。ダンスホールなら
わかるけれど。
三日目は朝、酒田から羽越本線 陸羽西線で新庄へ、6分の乗り換えで奥羽本線で山形へ、
今夜の泊り赤湯温泉に早く着いても困るのでおそばの昼食をとり市内をざっと見物した。 山形城跡は霞城公園として市民の憩いの場所のようである。最上家ゆかりの専称寺の天井
の四隅にはには左甚五郎の作といわれる力士像があるそうだがもちろん拝観できなかった。
門をはいったところには巨大な銀杏がそびえていた。
赤湯温泉
先々代かが古い建物を移築して裏に客室を作って開業したようである。
毎朝、社長自ら育てたイネから収穫したコメで餅をつき客にふるまう。
はっぴ姿が社長。臼は1300年物のケヤキで20年干して臼にしたもの。
それでも3か所ひびが入って補修してある。きねは5キロ、10キロ、15キロとあり、
客にもつかせてくれる。
雑煮 おろし、餡 、アオハタマメのずんだ
納豆
子供のころ、仙台に数年いたのでずんだは懐かしい。
3年くらい前に開発した つや姫 山形駅のコンコ―スには知事(女性でした。
知らずに失礼いたしました)の名入りののぼりはたっているし、みやげ物店
でも置いているし、県を挙げて売り込みに力を入れている。東京でも
大手スーパーで置いているところもあるそうです。
山形のみなさん おいし勝ったですよ ✿!!
今回の旅の乗車券 都区内―福島(どうして福島なのでしょうね)
経由は新幹線 盛岡 田沢湖線 奥羽 羽越 陸西 奥羽
福島―吉祥寺の経由は (北)福島 新幹線 東京 中央東
有効は9日間でした。
本線でも各停はワンマンの2両編成だったりして社会の移り変わりを思いました。
ワンマンの2両編成って、1両目の運転士の後にあるドアからしか降りられないのです。
昼間はそれぐらいで用が足りるのですね。