先日、このブログで私は、つげ義春先生の作品のゆかりの場所である千葉・太海に旅した旅日記を投稿したばかりだ。
なので、私がつげ先生の作品にハマるようになったきっかけを、ここらで書いておきたい。
つげ義春さん。私が敬愛する漫画家の一人だ。
今ではもう作品は描かれていないようだが、過去の作品は折に触れて映像化されたり、再出版されたりしており、「語り継がれている、伝説の漫画家」みたいな存在に今はなっている。
新作を描いていないと、たいがいは忘れられていきがちなものだが、つげさんの場合、新作を描いていないから、かえって伝説化を深めていってる感はある。
つげさんの作品が一般的に一躍知られるようになったのは、当時の月刊漫画誌「ガロ」で、であった。
だが私は、実は初めてつげさんの作品に出会ったのは「ガロ」ではなかった。
私が幼かった頃は、「巨人の星」という野球漫画がスーパーブレイクしていたころで、少年マガジンに連載されていた「巨人の星」は、総集編として、マガジンと同じサイズ、同じ紙質、同じくらいの厚みの「特集号」で、マガジンとは別に定期的に出版されていた。
確か・・単行本よりは安かったのだろう、幼い私のなけなしの小遣いで買えたぐらいだったから。
「巨人の星」が大好きだった私は、その「巨人の星」の総集編を毎号買っていたのだ。
「巨人の星」の総集編の雑誌構成は、内容は文字通りページ数の大半が「巨人の星」ではあったが、巻末の・・・というか後半の後半あたりのページで、毎回「巨人の星」以外の作品も掲載されていた。
その「巨人の星」以外の作品は、あまり有名な漫画家の作品ではなかったのが常だった印象があった。
しかも、そのどれもが短編であり、一話完結の作品だった。そういう作品が「巨人の星」の他に、ボーナス的に(?)何編か掲載されていたのだ。
ある時、いつものように「巨人の星」総集編を買った時、ひととおり「巨人の星」を読み終わり、巻終盤の「そのほかの漫画」をも読み始めた。
すると、そこに、いつものように・・・見慣れぬ内容、見慣れぬ画風、聴きなれぬ漫画家の作品があった。だが、その時に目にした作品は、それまでの色んな漫画家の見慣れぬ作品よりもさらに異質で、しかも強烈なインパクトがあった。
それこそ・・・つげ義春さんの作品であった。
その時、掲載されていた作品は・・・確か・・「初茸がり」「チーコ」「ねじ式」だったように思う。
ともかく風変わりだった。
最初に読んだ時の印象は、幼少の私にはそれが面白いのか、つまらないのか、なんとも表現しかねる感じだった。
ただ、1コマ1コマの画が、まるで絵画・・・もしくは、今で言う「イラスト」を読んでいるような感じにも思えた。
イラストだとしたら、イラストが縮小されて1コマ1コマに凝縮され、その集合体が漫画という1作品になっている・・・そんな感じ。
特に「初茸がり」や「ねじ式」は、そんな感じに思えた。
だから、物語の内容よりも、1コマ1コマの「イラスト」がそれぞれ独立して存在しているかのように、印象的で、インパクト絶大であった。
ただ、幼少の頃の私には、前述の通り、そのストーリーが面白いかつまらないかは、よく分からなかった。なにせ、普段私が読んでいる漫画群とは、異質だったから、少々面食らった感もあった。
ただただ、印象的な1コマ1コマの集合体として、強烈なインパクトで、一度見たら忘れられない・・それこそ夢にでも出てきそうな幻想画に思えた。
「初茸狩り」で、夜の山の一部に雨が降っているシーンや、最後に大きな振り子時計の中に子供が入って寝てしまうシーン。
「ねじ式」に至っては、1コマ1コマのつながりも感じず、物語の流れのつながりも感じず、セリフセリフの意味合いすら宙に浮きまくっている感じ。
こんな作品、見たことない!そんなふうに思ったのは覚えている。
今でこそ「1コマ1コマが独立したイラストで、全体的にはその集合体」みたいな表現をしている私だが、幼少の頃の私はそういう表現を思いつかず、たとえば「初茸狩り」は絵本を読んでるようであり、「ねじ式」は背景もセリフも登場人物すべてが謎だらけの作品として受け取った覚えがある。
ねじ式の主人公「ねじ式小僧(←勝手に私はそう呼んでいる)」は、一切リアル世界との関わりを感じさせない、普段何をしているか分からない、人間以外の生物(たとえば幽霊、宇宙人、その多)キャラにも思えた。
ねじ式小僧が出会う人物は、一期一会の蜃気楼のような走馬灯的キャラに思えた。
初茸狩りは、すごく優しいファンタジーのようでありながら、どこか私は幼心に怖さも感じた。
夜の遠景の山の一部に雨が降っているコマでは、その雨が降っている場所はどんな場所なんだろう。それは周りから隔絶された、異世界のようにも思えた。
最後の振り子時計の中に入って寝てる子は、そのままお爺さんがその子がそこにいることに気付かなかったままだったら、いったいどうなるんだろう・・とか。そういうことを空想すると、私はなぜか無性に怖くも感じたのだ。
思うに、読者にあれこれ空想を膨らまさせ、文章でいう「行間を読む」ように「絵間・コマ間を感じさせる」・・そんな作品だった。
1コマ1コマが強力ゆえ、読者がその1コマ1コマの間の空間を想像力で埋めるのだ。
こんな漫画・・・それまでお目にかかったことが私にはなかった。
というか、今でも、他には中々思いつかない。
「チーコ」は分かりやすく、怖さは感じなかったが、当時の私には「地味な作品」のように思えた。
なぜ、つげ作品が、全く作品の毛色の違う「巨人の星」の総集編に掲載されたのかは、今もって分からない。
ただ、当時人気や知名度も絶大だった「巨人の星」とカップリングで掲載されることで、当時の私のような「ガロ」を知らない一般大衆に、つげ作品を紹介するという意味では、大きく役だったのではないか。
不思議なもので、それらのつげ作品は、飽きなかった。謎の作品っぽく思えたからこそ、何度も読み返した覚えがある。特に「ねじ式」は、読むたびに1コマ1コマに発見を感じたりもした。
で、つげ義春という漫画家の名前は、深く私の心にインプットされたのだった。
で、心の奥に、「気になる漫画家」として居座ることになった。
やがて私も年齢が少しづつ上になり、雑誌「ガロ」も読む機会を得るようになった。「ガロ」を読むきっかけになったのは、単行本「カムイ伝」の影響であった。
元々「ガロ」は、白土三平さんの「カムイ伝」を連載するために創刊された漫画誌だったし、連載作品の目玉は、圧倒的なページ数を誇る「カムイ伝」だった。
単行本で「カムイ伝」にはまった私は、自然に「ガロ」にも興味を持つようになった。
で、つげ作品を最初に世に広めた雑誌こそ「ガロ」であることを知った。
このころになると、つげ作品をもっと読んでみたいという気持ちは抑えきれなくなっていた。
幼少の頃に心にインプットされた「つげ義春」への関心は、時間をかけて自分の中に育っていっていたのだ。
そして、文庫本サイズの「つげ義春作品集」を買い、やがてそれをもっと大きな紙面で読みたくなったり、つげさんの旅イラスト、エッセイなどにも関心がいくようになっていった。自分の中で植え付けられていた「つげの種」は成長し、花が開くようにメインになっていったのだ。
そうなるともう止まらない。しまいには、つげさんが描いた旅イラストの現地に旅したり、イラストと同じアングルで現地で写真を撮ったり。また、イラストだけにとどまらず、つげさんが旅した旅先や、漫画のヒントになった場所にも出向くようになり・・。
で、現在に至る・・・というわけである。
ともかく。
幼少の頃たまたま入手した「巨人の星」の総集編の中のカップリングでつげ作品を知ることになったが、つげ作品を最初に読んだ時の「なんじゃ、こりゃ?」的なインパクトは、今も忘れることができない。
私が旅行好きになった理由のひとつに、確実につげ義春さんの存在は・・・ある。
それだけは自覚している。
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